皇室を、皇室祭祀を軸とした、祭祀共同体だと捉えると、同様に、男性中心の皇室のあり方は、女性皇族の脱出の権利が確保されることによってのみ、正当化されることになります。憲法第3章の「国民」の権利条項は、天皇・皇族には適用がないと考えるべきですが、そうした憲法の定めによっても、脱出の権利は奪われないと考えることは、論理的に可能です。その意味で、女性皇族が皇室から離脱することができる現行の皇室典範は、理にかなっているのです。ただし、認められた脱出路は、婚姻だけでした。
眞子さんが「結婚は生きていくために必要な選択」と発言されたのは、皇室からの脱出を求める心の叫びとして理解することができるでしょう。彼女の主張は脱出の権利に裏づけられたものだったが、小室(圭)さんとの結婚以外に脱出路がなかった。
皇室典範の立法政策論として言えば、現状を維持して不平等を認めるためには、脱出の権利の保障が必要になる。それを封ずるのであれば、逆に男女平等を実現して、女性天皇を認めなくてはいけない。そういう論理構造になっているのです。その意味で、眞子さんの婚姻を認めるか、認めないかという問題は、女性天皇論議と深いところで連動しているわけです。
ただし、ここで眞子さんによって、婚姻にまつわる皇室の儀礼をも吹き飛ばして強行された脱出劇は、家族としての秋篠宮家だけでなく、制度体としての皇室に対しても大きなダメージを与えたことは確かでしょう。
大きな犠牲を払いつつ遂行された脱出劇が、「人権」を求めた眞子さんによる脱出の権利の実践だったと考えれば、彼女の一貫した悲壮さも腑に落ちる気がしています。
◆歴史学が専門の河西秀哉・名古屋大学大学院准教授
「SNSで発信する英王室が見本。皇室側から積極的に情報発信を」
「皇室不要論」が聞こえてくるようになった要因として、コロナ禍の影響は大きいと思います。
上皇ご夫妻は、東日本大震災での被災地訪問に代表される、目に見える公務の印象が非常に強く、被災者の心に寄り添う姿が象徴天皇への敬意を集めました。
今は目に見える公務が減り、皇室は何をやっているんだろう、という疑問が出てきています。そこに今回の小室眞子さんの問題が重なりました。上皇ご夫妻には、実社会とは離れた特別な存在としての皇室という感覚がありました。