ところが、11月13日の初交渉で、巨人側から11年前のドラフトでの指名回避に対する謝罪はなく、一塁でポジションが重なる落合博満の解雇を明言。さらに翌日、一転残留に変わるという定見のなさが、清原に不信感を芽生えさせる。
一方、当初形勢不利とみて白旗を掲げかけていた阪神は、本命球団の“失策”に乗じて、一気に巻き返しを狙う。
11月15日の交渉では、吉田義男監督が「(阪神を)本当に変えるためには、縦じまのユニホームを横じまに変えるぐらいの意気込みが要る。そのためにも君が必要なんだ」と熱弁を振るい、巨人の当初の条件・2年契約の5億円を大幅に上回る10年契約の36億円を提示したという。清原も「汗が出てくるほど誠意を感じた」と一度は阪神に傾きかけた。
だが、「あんた、何言うてんの。あんた、また阪神に行って、巨人に勝って、ピーピー泣くんか。あんたの夢、何やったんや」と母から諭されると、「巨人に行くわ」と思い直し、初志を貫徹した。
「思いきって僕の胸に飛び込んできてほしい」という長嶋監督の口説き文句が決め手になったとされる入団劇も、水面下ではいろいろあった。人間の迷う心が浮き彫りになるのも、FAの妙味だ。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。