24人が死亡した大阪市の心療内科クリニック放火事件の現場(撮影・今西憲之)
24人が死亡した大阪市の心療内科クリニック放火事件の現場(撮影・今西憲之)
この記事の写真をすべて見る

 大阪市北区曽根崎新地1の雑居ビルにある心療内科クリニックで24人が死亡した放火殺人事件で、大阪府警は19日、クリニックの患者だった谷本盛雄容疑者(61)が事件に関与した疑いがあると公表した。逮捕前に容疑者名を公表するのは異例だ。

【写真】放火容疑で氏名が公表された谷本盛雄容疑者の素顔

 谷本容疑者はかつて大阪市内の板金工場で働いていたという。

「梅田で放火、その前に西淀川区の自宅で放火とニュースで聞いた時、『ひょっとしてタニさんかも』と胸騒ぎがした。まさか、こんな大それたことをするとは…」

 工場の従業員とともに谷本容疑者が写った写真を手に話すのは、かつて働いていた板金工場の社長だ。

 谷本容疑者は2004年から8年近く、板金工場の職人として仕事をしていたという。

「もともと、谷本容疑者の父親も板金工場をやっていた。高校を卒業し、そこで仕事をしていた。谷本容疑者の兄が父親の跡を継ぐことになり、うまくいかなくなった。腕がいいと聞いて、うちにきてもらった」(社長)

 屋根などの板金が中心だった工場で、谷本容疑者は期待通りの働きをみせたという。

「谷本容疑者よりも年上の従業員もいたが、腕は達者で、工場でも一番。若い従業員にも丁寧に技術を教え、慕われるような存在だった。この写真も若い従業員に囲まれて、14、5年前に撮ったもんや」

 社長はこう振り返る。そんな谷本容疑者に変化があったのが、板金工場で仕事をするようになって、5年ほどした時だった。

「普段、家族のことはほとんど話さない谷本容疑者から『妻とうまくいかない、離婚しようかと思っている』と相談された。それからしばらくして『妻と別れた。長男は自分が引き取り、次男は妻が面倒を見る』と言っていた。それから人格が変わった」

 2008年7月末に一度、谷本容疑者は「他にやりたいことがある」と板金工場を退職。だが、1年後の09年8月に再度、社長に連絡し、「やり直したい」と話した。そして板金工場で仕事をまた始めたという。

次のページ
無断欠勤が続き、長男への殺人未遂事件起こす