ゲーセンで286連勝
17歳で世界王者に輝く
梅原は、日本初のプロ格闘ゲーマーだ。10年4月にプロ転向後、2D対戦型格闘ゲーム「ストリートファイター」シリーズを中心に、国内外の数々の大会で優勝。同年8月には、「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネス世界記録に認定された。現在は、レッドブル、ハイパーエックス、ミルダムの海外企業3社から出資を受け、世界的なプレーヤーとして活躍する。
緻密な戦略と野性的な勘の鋭さ、人間離れしたテクニックから、海外の格闘ゲーマーに「Beast(野獣)」の名で畏怖(いふ)される梅原だが、その強さの根幹は、1990年代に隆盛した格闘ゲームの「アーケード文化」の中で鍛え上げられた。
青森県弘前市で生まれた梅原は、8歳で東京都足立区に移住する。小学生のときは「運動神経というより筋力が強かった」少年で、体も大きく、リーダー格としてクラスの中心にいたという。
病院の医療事務をしていた父の大生(たかお)(74)は、剣道と古武道の熟達者でもあり、「大吾が小さいときは、あちこちの道場に連れていった」と話す。
「昔から、嫌いなことは一切やらないけれど、興味をもったことには非常に集中する力を持っていました。勉強じゃなくても、何か一つ打ち込めるものがあればいい。『好きなことを見つけたらとことんやれ』とは、よく言っていましたね。彼にとっては、それが格闘ゲームだったのでしょう」
初めて格闘ゲームに触れたのは11歳のとき。レンタルビデオショップのゲームコーナーにあった「ストリートファイターII」の筐体(きょうたい)から流れる鮮やかなグラフィックとサウンドに心を奪われた。
「家でやっていたファミコンのゲームとは、比較にならないくらいキャラクターがリアルで動きも滑らか。自分でも動かしてみたいと思いました」
それからは放課後になると、毎日のように駅前のゲームセンターに通った。最初は何も考えずに動いて、経験者にボコボコにされた。「自分はなぜ勝てないんだろう」。敗北の経験が、少年の探求心に火をつけた。正月以外は、台風でも雪が降っても対戦に明け暮れた。やがて13歳になると、さらに強い相手を求めて、当時神田にあったビッキーズという全国屈指の猛者が集うゲームセンターに足を延ばすようになる。