プロゲーマー、梅原大吾。11歳で格闘ゲームに出合った。梅原大吾にとって、それは自分の存在価値を実感できる全てだった。周囲との生き方の差に悩み、将来を憂えた時期もある。それでも自分で自分を見限らないために、格闘してきた。好きなことを一生貫く。その生き方を学んだのは、表彰台の上ではなく、毎日通った地下のゲームセンターだ。
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わずか9秒の逆転劇だった。
空中で放った回し蹴りが、対戦キャラクターの胴体に炸裂する。相手が吹き飛ばされ、スクリーンに「K.O.」の文字が飛び出た瞬間、爆発音のような歓声が弾けて会場の空気を震わせた。
今から17年前の2004年8月。アメリカ・カリフォルニア州で開催された世界最大級の格闘ゲーム大会「EVO」。対戦型格闘ゲーム「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」のルーザーズファイナル(準決勝)で、当時23歳だった梅原大吾(うめはらだいご)(40)は、アメリカのトッププレーヤーであるジャスティン・ウォンと対戦した。あと一撃でも食らえば敗北する瀬戸際。梅原はジャスティンがとどめに放った15発の連続技全てを完璧にさばき返して逆転勝利を収める。後に「背水の逆転劇」と呼ばれ、語り草となったプレーだ。その映像は「史上最も視聴されたビデオゲームの試合」として、16年にギネス世界記録にも認定された。
だが、数百人の観客が総立ちとなって熱狂する中で、梅原は席を立つことも、後ろを振り返ることもなかった。特別なことをした感覚はなかった。
大会に出る前、心に決めていたことがある。
「これを最後に、格闘ゲームの世界から離れる」
試合で掴んだメダルは、“たかがゲーム”に全てを注ぎ込んできた自分への餞(はなむけ)になるはずだった。
秋晴れとなった今年11月上旬。取材と撮影のために、以前住んでいたという東京・日暮里周辺を梅原と歩いた。
「よく歩いてたのは駅から西側のほう。散歩が好きで、2、3時間歩いても全然苦じゃないですね」
多くは語らないが、表情は柔らかい。対戦中に見せる冷静な「勝負師」とは違う穏やかな顔だ。