康夫はおとなしかったけど、達夫はやる気がある。おじいちゃんの赳夫のほうに似ているのかもしれないね。

 もっとも、福田赳夫の時は、田中角栄が圧倒的に強い時代だった。そんな中で、角栄は何とか福田をつぶそうと思っていたわけだから。どうしてもマスコミは角栄を中心に取り上げるばかりで、赳夫のことはあまり書かなかった。

 赳夫の孫にあたる達夫は、総裁選では派閥が所属議員の投票行動を締めつけるようなことはやめるべきだ、と主張した。「今の自民党の若手が主君の言いなりで、何も言えない」と訴え、メディアでも連日のように報じられたね。

 だから、新たな総裁に選ばれた岸田文雄に対し、「達夫は大事にしたほうがいい」とアドバイスした。岸田も「そのとおりです」と話していた。そして、若手を積極的に起用するなかで、まさに異例とも言える党の総務会長に抜擢したね。達夫はこれからも、よくやるだろうな。

(構成/週刊朝日編集部)

第67代 福田赳夫(ふくだ・たけお)/1905年、群馬県生まれ。大蔵官僚を経て52年、旧群馬3区から無所属で出馬し、初当選。翌年、自由党に入党し、蔵相、外相などを歴任。76年、首相に就任。日中平和友好条約の締結などアジア外交の道筋をつくった。田中角栄との長きにわたる政争は「角福戦争」と呼ばれた。政策集団「清和政策研究会」の創始者。

第91代 福田康夫(ふくだ・やすお)/1936年、東京都生まれ。父・赳夫の秘書を長らく務め、90年に旧群馬3区から出馬、初当選。森喜朗内閣、小泉純一郎内閣で内閣官房長官を務め、のちに菅義偉氏に抜かれるまで歴代最長の在任記録を残した。2007年、突如辞任した安倍晋三氏の後継として首相に就任。親子2代で首相に就いたのは史上初。12年に政界を引退。

*次回は大平正芳・中曽根康弘です

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記事中、「僕は首相になった康夫に『日中ジャーナリスト交流会議をつくりたい』と話を持ちかけた。交流会議を政府として後押ししてくれるように頼んだ。すると、康夫は快く“オッケー”してくれた。当時、中国の駐日大使だった王毅と一緒に訪中し、中国側にも認めてもらった」と話しましたが、記憶違いがあり、康夫氏や王毅氏と話したことで交流会議立ち上げに結びついたわけではなく、この件で王毅氏と一緒に訪中はしておりません。実際は事務局が中国側と交渉し、交流会議を立ち上げました。関係者、読者のみなさまにおわびいたします。


週刊朝日  2021年12月31日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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