首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏。週刊朝日100周年の記念企画として田中角栄氏以降、秘話を交えて振り返り、“独断”と“偏見”で歴代首相を採点してもらう。「宰相の『通信簿』」第三回は、福田赳夫、康夫の両氏。父子2代での宰相就任、福田家“DNA”は受け継がれるのか。(一部敬称略)
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田中角栄と福田赳夫が激しく争った、いわゆる「角福戦争」。当時の佐藤栄作首相は、本当は福田を後継にしたかったようだが、角栄が首相の座を先に射止めた。
当時は政党助成金なんてなく、佐藤ら歴代首相たちも、自分たちで政治活動の金を集めなくちゃいけなかった。彼らの政治資金を角栄が集めてきたとされ、どんどん成り上がっていった。
福田は群馬で「神童」と言われ、東大法学部を卒業して大蔵省(現財務省)に入った。局長までやって国会議員になった。だから、政財官に多くの支援組織があって、福田を「囲む会」は30ほどを数えた。こうした囲む会が政治資金に結びつく。かたや角栄は、故郷の新潟県議会や二田小学校の同窓会くらいなので、数では福田に全くかなわない。だから自らツテを探さなければならず、これが金権政治へとつながっていった。
それなのに福田は、自らの囲む会から、金を得ようとしなかったというんだね。
こんなエピソードがある。角福戦争のさなか、初当選した福田派の議員がいた。後に大物になる彼が、福田と車に乗っていた時のこと。
福田と同じ群馬選出の自民党議員、中曽根康弘は当初、「福田の味方をする」と言っていたそうだが、角栄側へついちゃった。どうやら多くの金が動いたとうわさされていた。そこで彼は福田に「こっちも、中曽根に金を渡して引き戻しましょう」と提案した。すると、福田は運転手に「車を止めろ」と命じるや、「この男を引きずり出せ!」と怒ったというんだ。彼は本当に車から引きずり出されちゃった。この話って面白いでしょ。