「取材で大事なのは、歴史の等高線を意識すること」。それが佐野さんの口癖だった。人が動くとき、時代はどんな風景を見せていたのか。それを意識することで、光も闇も見えてくる。多くの佐野作品では、そうした複眼の視点が生きている。

 そんな佐野さんも、2012年には取り返しのつかない蹉跌を経験した。橋下徹氏を題材とした本誌の連載記事は、部落差別を助長させるものだったため、連載中止に追い込まれた。当然の結果だったと思う。これをきっかけに「盗用問題」なども明らかとなり、佐野さんは「巨人」の座から引きずり降ろされた。佐野さんは身をもって、書き手として、してはいけないことをも教えてくれた。

 以降の佐野さんは精彩を欠いた。書くことへの情熱は失っていなかったと思うが、往時の力強さは戻ってこなかった。

 そんなことを思い出しながら──私は病室で佐野さんと向き合った。帰り際、私は佐野さんの右手をそっと握った。そのとき、佐野さんの手がわずかに動き、私の指先を握り返した。私は指先を通して感謝を伝えた。急がなくてもいいんですよ。そう胸の中でつぶやいた。

 手のひらに刻まれた深い皺が、佐野さんの「等高線」にも感じた。握りしめた手を、私はしばらく離さなかった。(ノンフィクションライター・安田浩一)

週刊朝日  2022年10月14・21日合併号