
『東電OL殺人事件』『カリスマ』などで知られるノンフィクション作家・佐野眞一さんが9月26日、肺がんのため死去した。生前親交があったノンフィクションライター・安田浩一氏が追悼の言葉を綴る。
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私が病室を訪ねたとき、すでに佐野眞一さんの魂は、体から離れる準備をしていた。「佐野さん」。呼びかけても反応はない。かろうじて開いたままの目は光を失う瞬間をただ待っているかのように、諦めの色に満ちていた。
伝えたいことは山ほどあった。感謝と労いと、この際ついでに悪罵も。でも、言葉は喉元で足踏みして出てこない。
佐野さんとは20年以上の付き合いになる。週刊誌記者だった私が、ある事件のコメントを佐野さんに求めたのが最初の出会いだった。佐野さんはすでに“ノンフィクションの巨人”として知られていた。『旅する巨人』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したばかりの頃だ。佐野さんはその生涯の中で、一際明るく光彩を放っていた。私にはただひたすら眩しい存在だった。
その後、私は週刊誌記者を辞めた。フリーランスとして再出発したのだが、思うように食っていけない。そんなときに「取材を手伝ってくれないか」と声をかけてくれたのが佐野さんだった。ライター稼業からの足抜けも考えていた私は一時期、佐野さんの「取材スタッフ」という形でどうにか生きながらえることができた。『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)を皮切りに、いくつかの作品に関わった。
取材のため、一緒に何度も旅をした。見知らぬ町で、私たちは関係者の家のドアをたたき続けた。取材を断られても、相手が不在であっても佐野さんは諦めなかった。「もう一軒行こう」と先へ進む。私は舌打ちしながらついていく。効率の悪い訪問販売のような作業も、佐野さんにとっては宝探しと同じだった。巨体を揺らし、楽しくてたまらないといった表情で、ひたすら先を急いでいた。