
「感謝しかないですね。猪木さんのいなくなった世界はとても寂しいですと言いました」
そう神妙に語った。
燃える闘魂・アントニオ猪木の歩み
1943年2月20日 横浜市鶴見区で生まれる
1956年 母親、祖父、兄弟らとブラジルへ渡る
1960年4月 サンパウロを訪れていた力道山にスカウトされて日本プロレス入団
1960年9月 大木金太郎を相手にデビュー。永遠のライバル、ジャイアント馬場も同日デビュー
1971年 日プロとの確執から追放処分に。11月、女優・倍賞美津子と結婚(87年に離婚)
1972年1月 新日本プロレスを設立。80年代を中心にブームを巻き起こす
1976年6月 モハメド・アリと対戦し引き分け。「世紀の凡戦」と酷評される
1989年 スポーツ平和党を結成、参院議員に初当選。10月、暴漢に襲われ左頸部などを負傷
1990年12月 フセイン政権下のイラクで「平和の祭典」を開催。在留日本人と人質の解放にこぎつける
1991年 東京都知事選に一度は立候補を表明するも辞退
1995年 北朝鮮・平壌でプロレスイベントを開催。2日間で30万人以上を動員
1998年4月 東京ドームで現役引退。セレモニーには盟友アリが駆けつけた
2013年7月 日本維新の会から参院選に立候補し当選(比例区)。18年ぶりに国政復帰
2017年10月 両国国技館で自身の生前葬を開く
2019年6月 参院選に立候補せず引退の意向を表明
2020年7月 難病「心アミロイドーシス」を告白
2021年11月 正式な病名が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と公表
2022年10月1日 心不全のため自宅で死去