記者の初めての石ころ拾い体験での戦利品。吹雪に見えたり、マカダミアナッツに見えたり。「見立て」の面白さもある(撮影/編集部・高橋有紀)
記者の初めての石ころ拾い体験での戦利品。吹雪に見えたり、マカダミアナッツに見えたり。「見立て」の面白さもある(撮影/編集部・高橋有紀)

 集めた石のコレクションは「もし火事になったら真っ先に持ち出します」。もう戻ることのできない場所で、今はもういない人たちと一緒に拾った、思い出そのものだからだ。

 さて、東京・清澄白河の喫茶店ハタメキで開かれていた「石FES東京」から数日後。石好きたちの話を聞くうちどうしても自分で拾ってみたくなり、記者も神奈川県西部の海岸へと足を運んだ。

■価値を決めるのは自分

 海を散歩しながら、貝殻や気になる石を拾ってみたことはあったが、「石拾い」を目的として海岸を訪れ、石拾いのみを実行する、というのは初の体験だ。

 海岸にはグレーっぽい石が多かったが、たまに、まるで金継ぎしたようにラインが入っているものがある。おっ、と思って手にとっては「うーん、なんか違う」と戻したりしてみる。何が違うのかは自分でもよくわからない。この日は残暑が厳しく、炎天下で拾い続けるのは30分が限界だったが、それでも20個ぐらいを手元の袋に入れた。日陰に入って袋から出し、選別する。

 石の人によれば、この選抜タイムが醍醐味だ、とのこと。家に連れて帰って今後も愛でたいかどうか、よく自問しながら選んでみる。

 なんとなく、今回取材した石好きの皆さんが選んでいたような石をまねして拾った感が否めない。これは本当に私にとっての「いい感じ」の石ころなのか、わからない。

 家に帰り写真を撮るために並べようとしてまた悩む。どちらが表でどちらが裏か? 左右は? 上下は? 順番は? もちろん正解などない。自分が好きに決めていいのだ。

「誰にも否定されない、でも誰も賛同してくれないかもしれない。それがまた石の面白さかもしれません」

 そう語っていた石フェス出展者の言葉を思い出す。

 市場価値に左右されず、自分で価値を決める。そのことの楽しさと難しさを、石ころに教えられた気がした。(編集部・高橋有紀)

AERA 2022年10月3日号より抜粋

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