高校生たちの会社見学で、ていねいに誠実に、そして熱く、仕事の楽しさを語る。「自由な会社ですね」とは高校生の感想。裏の棚には、開発してきた商品の数々が並ぶ。まったく売れなかった失敗作もある(写真=MIKIKO)

 ひらめき一瞬、構想半日、試作8カ月。「焼きペヤングメーカー」は完成した。山は人生で大事な教訓を得た。それは、「大食いタレントは大変や」、である。山は小学6年の卒業文集に、将来の夢は大食いタレント、と書いていた。

 ものは完成した。あとは、まるか食品にOKをもらえばいい。ご存じのとおり、ペヤングの焼きそばは、良い意味でぶっ飛んでいる。「超超超超超超大盛やきそばペタマックス」は、ふつうサイズの7.3倍。「獄激辛やきそばFinal」は、泣けるほど辛い獄激辛ペヤングの最終形だ。

 まるか食品の小島裕太(33)は、ペヤングを焼くホットプレートと聞き、わくわく半分、大丈夫かな半分だった。「カップ焼きそばを焼く、という発想はありませんでした」

 まるかに勤めて12年目、数々の商品開発に携わってきた。山たちがつくったものを見た。白い丸みのあるフォルムで、鉄板の大きさはふつうサイズの2倍にあたる「超大盛」にぴったり。ペヤングへの愛を見た。アイデアマン社長、丸橋嘉一も「うちに負けないくらい破天荒だ」とOKを出す。

■電話営業で断られる日々 ほしがるものを作ろう

 2018年秋、「焼きペヤングメーカー」が完成した。希望小売価格、税別2980円なり。

 その行方を描くまえに、山の半生を描いておく。大阪は豊中市で育ち、中学で地域のラグビーチームに入った。ポジションはフォワード、スクラムの中にいた。同級生のチームメートに、のちに日本代表として活躍する廣瀬俊朗(ひろせとしあき)がいた。

 山は公立高校に進み、ラグビー部へ。年末年始に花園ラグビー場で開かれる全国高校ラグビー大会を目指した。大阪には私立の強豪がずらり。高3の秋、府予選の3回戦で散った。

 京都にある同志社大学文学部、その美術や芸術を学ぶ学科へ進んだ。子どものころに博物館めぐりに連れられていた記憶が、そうさせた。

 同じ学科の学生が集まっての自己紹介。高校からバンドでドラムをたたいていた杉田信也(41)は、クラスを見渡した。音楽してそうなヤツは、お、ら、ん、か、な。いた! レゲエ音楽をしていそうな、ドレッドヘア。その男は「ベースを弾けます」と言った。それが山である。バンドは変わっても、2人は22年間、ずーーっといっしょ。

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