
■ほほ笑み一つで女王にメロメロ
25歳で即位した女王は、父と苦労を共にした母の助言を受けつつ、君主としての処世術を身につけてゆく。言い訳をせず苦情も言わない「威厳ある沈黙」をもって公務に取り組み、夫のフィリップ殿下と戦後の王室像を築き上げてゆく。
2人の出会いは女王が13歳のころ。一家で父の母校を訪れた際、案内役を務めた殿下に一目ぼれしたという。殿下は1年前に亡くなるまで女王を愛称の「リリベット」と呼び、彼女の愛に応えた。彼の葬儀では、棺の上にリリベットと書かれた手紙が置かれた。それだけに、夫に先立たれた喪失感は大きかっただろう。
一途で芯が通った女王とは変わって、王室はスキャンダルにまみれた。
妹のマーガレット王女は映画「ローマの休日」のアン王女のモデルとも言われた人物。離婚歴があるタウンゼント大佐との悲恋は話題となったが、奔放な性格から数々の著名人と浮名を流し、ゴシップ紙の常連だった。
王室を襲った最大の危機は、やはりダイアナ元妃をめぐる一連の出来事だろう。元妃がパリで事故死すると、世界中から元妃への同情が集まり、バッキンガム宮殿には花束の山ができた。だが女王が「威厳ある沈黙」を守ったせいか、悲しみが王室への怒りに変わる。
素手で触らない、硬いカバンで身を守っている……。敵意を一身に受ける女王は、元妃がなぜ人気があるのかを真剣に考えた。人々との距離の近さにあると知り、一般家庭やパブを訪ねては交流を深めた。
筆者も一度女王と面会する機会を得られた。緊張気味の私たちに女王は一人ひとりと目を合わせて語りかけ、ほほ笑み一つでメロメロになってしまった。70歳を過ぎても変わろうとする女王の努力を、国民は見逃すはずもなかった。
言葉の力も大切にする人だった。75年に初来日した際、宮中晩餐(ばんさん)会で「互いに大陸のそばの小さな島国。お茶が好きで庭を愛する。車は左側通行です」と語り、まだ戦後のわだかまりがあった両国の関係を「互いに学び合える間柄」へと昇華させた。かつて植民地だった隣国アイルランドを訪問した際は、ゲール語で流暢(りゅうちょう)にスピーチした。