檜垣宗善住職。夕刻の鐘は、地元住民にとって農作業を終える合図。空き寺時代を経て、再び鐘が鳴る喜びを新聞に投書した人も
檜垣宗善住職。夕刻の鐘は、地元住民にとって農作業を終える合図。空き寺時代を経て、再び鐘が鳴る喜びを新聞に投書した人も
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 古代インドには、人生を四つの期間に分ける思想があったという。なかでも三つ目の「林住期」は、仕事や家庭のための奮闘を終え、自分らしく生きられる最高の時期。そんな輝かしい“林住期ライフ”を、定年後の僧侶デビューによって手に入れた人たちがいる。

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 若かりしころは、世界の海を股にかけたという。岐阜県池田町にある安國寺の檜垣宗善住職(69)は20代半ばまで船舶通信士として船乗り生活を送り、その後NTTに転職。定年退職し、62歳で仏門をたたいた。

 きっかけは退職して間もないころ、心神耗弱に陥った友人を助けたことだった。自分の家に連れ帰り、鍋を囲み、お酒を飲みながら、仕事の悩みや居場所のない苦しみを聞いた。生活をともにするうち、友人は2週間でみるみる元気になった。

「話を聞き、心に寄り添うことで誰かを救える」と気づいた檜垣さんは、ある日インターネットで「第二の人生は僧侶になりませんか?」という募集を見つけた。

 臨済宗妙心寺派がリタイア世代の出家を支援する取り組み、「第二の人生プロジェクト」の案内だった。心ひかれて本山に電話をし、面談や体験入門を経て僧侶を目指すことに決めた。

 兵庫県姫路市の龍門寺で1年の修行が始まった。朝4時に起き、座禅や掃除、食事の準備に木の植え替え……。食事は2分づき玄米が主食で、おかずは肉風に味付けしたこんにゃくなど。体重は76キロから60キロに落ちた。

 しかし、「つらくはなかった」と檜垣さん。「土方仕事もおもしろかったし、持病の糖尿病の症状でふらつくときは休ませてもらえました」。スマホも禁止されず、お経を録音したり、東京にいる家族と連絡を取ったりと活用した。家族は出家に反対しなかったが、「お寺でいじめられたりしない?」などと心配していたようで、LINEで「大丈夫だよ」と報告するうちに安心してもらえた。

 修行を終えたことで、空き寺になっていた安國寺を紹介され、昨年6月から住職を務めている。朝は読経や庭の掃除、昼は寺を訪ねてくる人の話し相手が主な務めだ。90歳近くの帯状疱疹を患う女性は、常連の一人。初めは痛そうに首の後ろを触っているが、檜垣さんと2、3時間話すとケロリとして帰っていく。ストレスが和らぐのか、「薬よりも効く」そうだ。

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