漱石はとにかく怖かったようだ。
「洋食屋に連れていってもらうとマナーにうるさくて、食べた気がしないって父や叔父がよく言ってました」
漱石は突然怒るので、子どもたちは恐れていたのである。いつ噴火するかわからない。ただ、それが病だと知って父・純一さんは自分とは違うとホッとしたという。
では改めて今、漱石についてどう思うかを聞いた。
「後でわかったことですが、オヤジが漱石について話していたことは、全部どこかの本に書いてあることでした。だから子孫といえども、うちしか知らないような秘話はないのです」と房之介さん。
続けて、
「ただ、半ば冗談ですが、僕もオヤジも漱石と顔の骨格は同じで、背丈も同じくらいです。とすると声帯も近いから声も似ているはずなんです」
と漱石を意識したような表情で話してくれた。漱石はよく講演をし、講演録は話した言葉のリズムやライブ感を残しながらまとめていくのがうまかったと房之介さんは強調する。小気味よく話す房之介さんのお話を聞いていると、その才能を受け継いでいるようだ。
漱石は書き言葉から話し言葉で文章を書く、「言文一致体」にしたことでも知られる。それまでとは一線を画する表現である。
「ただ、カタイ言葉を置き換えただけでなく、江戸文芸の落語や講談など語り物の文化を盛り込んで文章にしたのがいいですね」
と東京生まれの房之介さん。
房之介さんは漱石の手紙をまとめた『漱石書簡集』は非常におもしろく、文章を書いたり、タイトルをつけたりする際に参考にしたそうだ。人や状況によって巧みに書き分けていた手紙の達人で、名調子も隠されている。
最後に房之介さんも暗唱できるという漱石の名作、『草枕』の冒頭を記して、房之介さんとのお話を終わりにしよう。
「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2022年9月9日号