漱石写真帖から
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 夏目漱石は、日本を代表する文豪であろう。芥川龍之介、久米正雄などの門下生をはじめ、その後の文学や社会に大きな影響を与えた人を育てた。偉大な人物であるが、家族にとってはちょっと厄介な意外な一面があった。子孫に話を聞き、“素顔”を紹介するシリーズ第4回。

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「吾輩は孫である」。ン? 来たぞ。来るんじゃないかと思ってたら、やっぱり来た。

「漱石と関係あるんですか?」

「漱石の孫ですって?」(後略)

「週刊朝日」1975年5月23日号の「ひと」のコーナーで紹介された夏目房之介さんの紹介記事の書き出しである。夏目漱石のように頬杖をついてすました表情の写真に、「素性を明かせばカドが立ち さりとて隠すも面倒だ」と『草枕』を思わせるキャプションまである。

 これが漱石の孫・夏目房之介さんがメディアに登場したはじめての記事であり、その後の人生を大きく変えた“デキゴト”となった。

 これほどまでに漱石を意識した演出であったが、房之介さんは、漱石の孫といわれるのを快く思っていなかったという。「漱石の孫」というプレッシャーもあり、若い頃は漱石の長男である父・純一さんに反発した。社会に出て自分の仕事に自信を持つに従って、漱石という存在を受け入れるようになっていったという。

「それでも、周囲から『文豪の孫』とよばれることには、なかなかなじめなかった。漱石という言葉とともに語りかけられると、若い頃は反射的にピクリとこめかみに青筋がたち、目がこわくなって、肩に力が入った」(『漱石の孫』から)

「週刊朝日」から取材を受けたことで、同編集部で定期的に仕事をするようになり、そこには漱石に関する奇妙なめぐり合わせがあった。

「編集部には池辺さんという方がいたのですが、『池辺さんがいるよ』と言われても当時はどんな人か知らなかったんです」と房之介さんは懐かしそうに話した。

「週刊朝日」編集部にいた池辺とは、朝日新聞社主筆の池辺三山の子孫。池辺三山は漱石がとても信頼していた人物で、漱石は池辺三山の誘いで、朝日新聞社に入社した。

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