山本氏は衆院当選5回だが、一度も小選挙区で当選したことがない。いずれも比例復活だ。
筆者は朝日新聞で自民党結党60年の企画を担当。若手議員の選挙基盤の弱体化を描くため、山本氏を取材し、舞台回しに使った。15年11月29日朝刊に掲載された記事「いまどき自民議員『後援会いらない』」の一部を以下に再掲する。
衆院議員、山本朋広。当選3回、40歳。後援会はない。法的な届け出はしてあるが、実態はない。つくる気もない(中略)。あえて後援会をつくらないことについて、山本はこう話す。「5千人のガチガチの後援会をつくっても、選挙に負けるときは負ける。後援会をつくり、維持することは、割く労力や時間、費用を考えると無駄だ」(中略)。代わりにサークルを立ち上げた。筋トレ、歴史の勉強、写真撮影……。テーマごとに10前後。選挙は、サークルのメンバーが手伝ってくれる。大学生のようなノリだ(敬称略)。
山本氏の軽いノリは、小選挙区が生んだものだ。
中選挙区時代には、自民党同士も競い合い、当選のためには強固な選挙基盤が不可欠だった。小学校単位ごとに後援会を張りめぐらせ、自らに近い政治家志望者を都道府県議や市区町村議に送り込んで系列化し、ピラミッド組織を作った。集めた政治資金を配り、後援会や系列議員の陳情に丁寧に対応した。そして、いざ衆院選となると、後援会員や地方議員は「親分のために」としゃかりきに、票集めに走った。
■選挙マシンとして魅力
しかし、96年の衆院選から小選挙区が導入されると、原則として自民公認候補は選挙区に1人だけ。自民同士の競い合いは消えた。当落は、党首の人気に左右されることが大きくなり、後援会や系列議員による自前のピラミッド組織は、かつてほど意味をなさなくなった。
その結果、小選挙区導入後に衆院議員をめざした中堅・若手には、自民党であっても極端に選挙基盤の弱い議員もいる。そうした議員にとって、選挙マシンとしてエンジンの大きい教団は魅力的に映るはずだ。
山本氏が教団から、選挙で具体的にどんな支援を受けていたのかは定かではない。ただ、十分な後援組織もなく、強力な実動部隊を欠いた山本氏にとって、教団の選挙支援があれば、助かったに違いない。(朝日新聞論説委員・蔵前勝久)
※AERA 2022年9月5日号より抜粋