鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)/ 1963年、東京都生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程英文学専攻在学中の87年に、エッセー集『リバー・ジャーニー』の翻訳でデビュー。著書に『謎とき「風と共に去りぬ」』『翻訳教室』など、訳書に『嵐が丘』『風と共に去りぬ』『誓願』『灯台へ』などがある。近著はアメリカの詩人、アマンダ・ゴーマンがバイデン米大統領の就任式で朗読した詩を訳した『わたしたちの登る丘』。朝日新聞「文芸時評」で筆者を務める。(撮影:写真映像部・戸嶋日菜乃)
鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)/ 1963年、東京都生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程英文学専攻在学中の87年に、エッセー集『リバー・ジャーニー』の翻訳でデビュー。著書に『謎とき「風と共に去りぬ」』『翻訳教室』など、訳書に『嵐が丘』『風と共に去りぬ』『誓願』『灯台へ』などがある。近著はアメリカの詩人、アマンダ・ゴーマンがバイデン米大統領の就任式で朗読した詩を訳した『わたしたちの登る丘』。朝日新聞「文芸時評」で筆者を務める。(撮影:写真映像部・戸嶋日菜乃)
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 多くのベストセラーを世に送ってきた作家・林真理子さん。そんな林さんが以前から会いたかったというのは、翻訳家でありながら、文芸評論家としても活躍している鴻巣友季子さん。ついに念願の対談が実現しました。

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林:私、鴻巣さんと作家の水村美苗さんの対談を読みましたけど、知のアイコン(偶像)の二人が語っているという感じでカッコよかったです。

鴻巣:水村美苗さんは『嵐が丘』を下敷きにした『本格小説』(2002年)という小説を書かれてますけど、ほんとにヒースクリフに恋をされてるんだなと思いました。頬を紅潮させて彼のことをお話しされていました。

林:『本格小説』もおもしろかったです。ヒースクリフと同じような人が出てきて。

鴻巣:お手伝いのネリーも出てきますよね。実はヒースクリフとネリーは通じてたんじゃないかという読み方があるんですよ。最後までヒースクリフが心を許すのはネリーじゃないですか。

林:そんな読み方があるんだ。

鴻巣:ネリーがキャサリンの死とかいろんな人の死に間接的に加担してるんじゃないかという“ネリー陰謀説”が私の見方で、私、「ネリー年表」というのをつくったことがあるんです(笑)。人が死ぬところに必ずいるんですよ。ちょっと遅れて発見したり、渡すべきものを渡さなかったり、寒いのにわざわざ窓を開けたり。

林:ゾクッとしちゃった。そんな読み方があったとは……。そもそも鴻巣さんはなんで翻訳家になろうと思ったんですか。

鴻巣:私は少女時代に打ち込むものが何もなかったんですけど、19歳の冬に喫茶店で待ち合わせしてたときに、「フォーカス」という雑誌があったんです。

林:フォーカス?(笑) 新潮社から出ていた、写真週刊誌ですね。

鴻巣:そこに翻訳学校の広告のはがきがはさまってて、「この小噺を訳してください」みたいな問題があって、たまたまオチがわかったので、それを訳して送ったら、5段階評価のうちの4がついて返ってきたんです。学科の中で唯一できたのが英語で、読むのは好きだし、書くことも苦じゃなかったんです。だから、「あっ私いけるかも」って(笑)。大学の3年になる前ぐらいでしょうか、ジェイムズ・ジョイスの翻訳で有名な柳瀬尚紀という方のところに、トルーマン・カポーティの「誕生日の子どもたち」という短編の訳文を持っていきなり行ったんです。そしたら「弟子はとらないよ」って門前払いされて、でも、「運転手ならいい」ということになって。

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