■相手の立場に立つ
――信長と濃姫は、互いを愛しながらも、それぞれの信念の違いから激しくぶつかり合う。仕事などで意見がぶつかり合うことをどう考えているのだろうか。
木村:うーん、自分がどう思う、感じるというより、相手の立場に立ったときに「言われたら嫌だろうな」ということは言わない、そういう基本的な視点をまずはもつことじゃないかな。逆にその視点さえあれば、仲違いすることもほぼないというか。お互いの意見が違っても、相手の考えを理解して同調したとき、すごくうれしそうなリアクションをしてくれるのを見れば、自分もうれしくなる。10回に1回は「こっちにおいで」と言うこともあるかもしれないけれど、自分から「相手と同じ道を行こう」と選ぶのも自分の意思だし、喜びになると思うんですよね。
信長と濃姫は政略結婚で結ばれたので、現代の夫婦や家庭について彼らから学べることは少ないと思うんですが、あえて言うなら、結婚は個人と個人のつながりだけではないよねってことかな。結婚って、恋人だけじゃなくて、相手の両親やきょうだい、育ってきた歴史や生活習慣とか、その人の背後にあるいろいろなものとも一緒になるってこと。そのつながりを考えることや守ることも大切なんじゃないかなと、信長たちを見て感じますね。
■求めてくれるからこそ
あとは何だろう、伝えられるときに感謝を伝えることの大切さかな。自分のことを求めてくれる人がいるって、ものすごいことだと思う。今回の映画でも、「信長だったらあいつに頼みたい」と、その“あいつ”に自分を選んでくれたことが、すごくうれしかった。「ぎふ信長まつり」に参加させていただいたときも、46万人ものとんでもない数の人が駆けつけてくださった。数字や評価じゃなくて、そういう自分を求めてくれる“現実的な存在”が、自分のとても大きな支えになっています。
前に、この世界の大先輩に言われたことがあるんです。
「自分らだけでやってるように勘違いしている奴らもおるけど、うちら全員生かされてるんやで」
その言葉はすごく心に残っています。自分でも薄々「ですよね」とは思ってはいたんですけど、まさかその人の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったので。
「この人、その感覚で皆のことを笑わせているんだ」
って、さらに魅力的に感じました。求められない限り、自分たちは何者でもない。求めてくれるからこそ自分らがいられるんだよ、と教えてもらったときは、やられましたね。
それが誰って? もうわかるでしょ(笑)。
――奇しくも、信長が本能寺で没した49歳(数え年)で信長を演じた。現代は「人間50年」ではなく「人生100年時代」に突入したが、後半戦の展望をどう考えているのか。
木村:先ほどと同じになりますけど、自分で展望を描くのではなくて、どんな作品や現場で自分が求められるのか、そして相手の期待にベストコンディションで応えることが自分の役割だと思っています。
この間の「ぎふ信長まつり」で岐阜にお邪魔したとき、夜に岐阜城を案内してもらったんです。そのとき天守閣で、「信長と濃姫もきっとここからの星空を見たんじゃないかな」という場所に立ったとき、すごい感情的になっちゃった。もうちょっと、二人で共に生きて、共に過ごす時間をもってもらいたかったなって。
信長をやらせていただいた立場としては、「この先の人生もきっちり無駄にせず生きないといけないよな」と思います。
(ライター・澤田憲)
※AERA 2023年1月23日号