哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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あるメディアから「人に優しくすること」についての原稿を頼まれた。寄稿依頼には「日本社会には閉塞(へいそく)感が漂っています。システムの大枠はこのあとも変わりそうにありません。その中でも少しでも楽しく生きてゆくためには一人一人が少し優しくなる、寛容になるべきではないでしょうか?」という趣旨のことが書いてあった。よくそれに気づいてくれた。
時々「今の日本で一番必要なものは?」と訊(き)かれる。「親切」ですと答えることにしている。この世で一番大切なものは親切であるというのは、長く生きてきて骨身にしみた教訓である。
若い頃はそんなことは考えていなかった。「親切」というのは生来の気質であって、「背が高い」とか「視力がよい」とかいうのと同じで、生まれつきのものなんだから、そうでない人間が努力してなることはできないと思っていた。私はとくに親切な人間ではなかった(誰も「内田君て親切だね」と言ってくれなかった)。それなら死ぬまでそのままでゆくしかない。そう思っていた。
でも、間違っていた。誰でも努力すれば、親切な人間になることができる。そして、とりあえず何かを表現する仕事に就くつもりならこれはぜひとも親切な人間でなければならない。
表現において親切というのは、「情理を尽くして語る」ということである。言いたいことだけを言いたいように言い放って、「あとは自分で考えてくれ」というのは「不親切」である。親切な書き手は時間のある限り説明する。できるだけ論理的に語るのも、説得力のある根拠を探してくるのも、カラフルな喩(たと)え話を持ち出すのも、なんとか話を分かって欲しいからである。