「日本人は日記が好きだねえ」
学生時代、インターン生としてウクライナに滞在していたときのことです。初めての国、初めてのインターンシップは見るもの聞くものすべてが新鮮で、私はほぼ毎日コツコツと日記をつけていました。
「10月16日8時起床、ルームメイトの中でまた一番に目が覚めた」「9時バス停へ。今日はバスの運転手さんに言葉が通じるだろうか」などと時刻ごとに出来事を記録する徹底ぶり。毎日部屋にこもって机に向かう日本人を見て、ウクライナの学生が放ったのが冒頭のひと言でした。彼らは世界各国からインターン生を受け入れていたのですが、この前来た日本人も日記をつけていた、外国に来てまでそんなことを熱心にするのは日本人だけだというのです。
たまたま彼の会った日本人がふたり連続で日記をつけていただけ、かつ彼の会ったその他外国人が日記をつけていなかっただけのことかもしれません。しかし仮に日本人が日記好きだとするなら、いや、好きというより新しい環境に置かれたときに日記をつけずにはいられない習性があるのだとしたら、それは園児や小学生の頃から夏休みの宿題として課される絵日記が理由ではないかと思います。
わがやの小学一年生も、今夏まっさらな絵日記帳を学校から持ち帰ってきました。へえ、現代の小学生もやっぱり夏休みの宿題といえば絵日記なんだと感慨深く中をのぞいてみたら、なんとも親切なことに絵日記のルールまで指南されています。いわく、日記は以下の3段落に分けて記述せよとのこと。
1、出来事(誰とどこへ行ったかなど)
2、出来事の説明(そこで何をしたかなど)
3、どう思ったか
さらに、「おともだちのえにっき」として書き方の例が提示されていました。「きょう、わたしはうみにいきました。はまべで、すなのおしろをつくりました。とてもたのしかったです。」とか「ぼくはきょう、かぞくとおまつりへいきました。はなびをみました。とてもきれいでした。」といった例が六つも載っています。
でも、それらの例を見て私は首をかしげてしまいました。まず、「きょう、わたしは」「ぼくはきょう」という書き出し。日記は個人の日々の記録なんだから「きょう、わたしは」で始まるのは当然のこと。当然のことをわざわざ書く必要はないのでは。