著者は武田百合子だけれども夫の泰淳と娘の花の記述も時々登場して家族の合作のようになっている『富士日記』、他者との会話が多く記されてまるで演劇の台本を読んでいるかのような『樋口一葉日記』、歌を詠んでいるかのような『和泉式部日記』と、作品によって書き手の視点も作風も題材もさまざまです。日付があることはひとつの基準でしょうが、なくても日記的なものもあると「日記屋 月日」店主の内沼晋太郎氏もインタビューで述べていました。結局のところ日記の形態は多種多様すぎて、定義はあってないようなものなのでしょう。

 私がさまざまな日記を読んでたどりついたひとつの個人的な答えは、日記とは記した情報そのものではなく行間を浮かび上がらせる作品だというものです。なんでもない文体でなんでもない日々を淡々と綴っているからこそ、筆致の熱っぽさ、繊細さ、文章量などの変化がわかりやすく、文章には直接表れない書き手の姿がリアルに感じられる。それが日記というものではないかと。

 きっと夏休みの絵日記は、子どもの姿を映す鏡のようなものなのでしょう。夏休み初日から毎日欠かさず記録をつける勤勉さ、あるいは終盤にまとめる容量のよさ、選ぶ題材や使う語彙も、書いた子の性格を饒舌に語るのでしょう。1日の字数が63文字では少なすぎると思いましたが、担任の先生が生徒の休みの過ごしぶりを知るには十分すぎるくらいなのかもしれません。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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