先人の日記を見てみると、たとえば『伊藤整日記』なんか潔いもので、《一月十八日 金曜日 判決。》と書き出しに余計なものが何ひとつありません。日によっては、《一月二二日 火曜日 原稿。》とたった二文字で日記が終わることもあります。この日はよっぽど原稿が忙しかったんだろうなあと思わせる潔さです。とにかく、必要のない情報はバッサリ削ぎ落とさないと文章は冗長になってしまいます。宿題の日記が面白く感じられないとしたら、形式的で不必要な表現が多すぎるからではないでしょうか。小学生の絵日記はただでさえ字数制限が厳しいのですから。たとえばうちの子の絵日記帳は、1日たったの63文字しか書けません。

 次なる疑問は、「どう思ったか」で結ぶように指導されていること。『土佐日記』を例に挙げるまでもなく、生活の記録(と冗談)が目的で書き手の情緒がそこまで記されていない日記は多いし、いしいしんじの『京都ごはん日記』、高山なおみの『日々ごはん』のように感情よりも「食」の記録に重きを置いた日記も多い。日記に書き手が毎日何をどう思ったかを記す必要はないのではないでしょうか。第一、たった63文字以内で出来事も感想も書けというなら、その感想は「とてもたのしかったです。」くらいの薄っぺらなものにしかなりません。

 最後の疑問は、例に挙げられている出来事が「うみ」だの「おまつり」だの、非日常的過ぎること。それを「たのしかった」「きれいだった」とポジティブにまとめていることです。日記は、なんでもない普通の一日について「とくになにもなかった」とローテーションで綴ってもいいのでは。というか、なんでもない一日について記すことこそが日記の醍醐味だと思うのです。プロの作品から一個人のブログまで、何より面白いのはよそゆきの紀行文などでなく日々の雑記です。イギリス官僚サミュエル・ピープスの日記も、歴史的価値がある記録よりも暗号でこっそり記した自分の浮気話のほうが読み応えがあったり。

 じゃあ結局日記はどう書けばいいのかというと、その定義は難しいものです。日記といっても手記やルポルタージュ、随筆などジャンルの区分けが難しいし、ヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』、小川洋子の『妊娠カレンダー』のような日記の体裁をとったフィクションもある。宮田珠己の『スットコランド日記』のように、著者の夢の話が巧みに挟まれ事実と虚構がないまぜになるような日記もあります。

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定義はあってないようなもの