上田:「うちの大学で劇団をやらないか」というのが来たんです。でも、生意気だったんで、ハリウッドに行こうと思ってそれを蹴って、1年間英語を学んでからハリウッドに行こうと思って英語の学校に行ったんです。でも、そこでなじめなくて中退して、そこからは完全に独学で映画を撮るようになりました。

林:独学ってどうするんですか。カット割りをメモしながら映画を見てたって、誰かから聞いたことがありますけど。

上田:とにかく浴びるように見て撮って、見て撮って、体で学んでいった感じです。そして20代半ばで初めて映画制作団体に加入して、大きいカメラでの撮り方とか、音声の録り方とかを学んだんですよ。でも、ここでも生意気なところが出ちゃって、「自分でできる」と思って、自分の制作団体を立ち上げたんです。そこで10本ぐらい自主映画をつくったあとに「カメ止め」をつくったという感じですね。

林:失礼だけど、その間の生活はどうしてたんですか。

上田:バイトをしてました。長かったのは携帯電話ショップの店員で、最後はその店の副店長になりました。

林:そうなんだ。けっこう社会生活に参加してるんですね(笑)。

上田:そのあと保険のコールセンターの深夜受付をやったんですけど、そこは役者とか歌手とかのタマゴが多かったので、自主映画の主題歌を仲間につくってもらったりしてました。

林:へぇ~、おもしろいですね。顔が見えないところに、俳優のタマゴ、歌手のタマゴ、そして監督のタマゴがいるんですね(笑)。

上田:今でもつながってる人が多いです。そこは時給がすごくよくて、月40万ぐらい稼いでましたね。一時、講演会とか結婚式を撮って、編集したりする仕事をしてたんですけど、それはすごくしんどくて。自分が好きなものだけ撮って、好きなように編集すればいいわけじゃないですからね。だから、ちゃんとバイトして、生活の地盤があったうえで、自分の好きなものだけを撮るほうが性に合ってるなと思って。

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