■愛するシルクロードの街が激変
川嶋さんはインタビュー中、タクラマカン砂漠の周囲に点在するオアシスの街で人情味あふれるウイグル族の人々にもてなされた、よき時代の記憶を繰り返し語った。
「最初、道端を歩いていたら、おじさんから、『どこから来たんだ?』と、声をかけられたんです。『日本から来ました』と、答えると、『じゃあ、家に来なさい』と、招かれた」
砂漠の強烈な日差しと大きな寒暖差。厳しい自然環境に生きるウイグル族の伝統的な家屋は、外壁に泥が厚く塗られ、丸みを帯びた独特の形をしている。
「でも、家の中に入ると、じゅうたんが敷かれて、すごくきれいなんです。そこにぼくみたいな見ず知らずの人間を招いて、ナンやチャイ、果物でもてなしてくれた。言葉には少し不自由を感じたんですけれど、家族や仕事の話をして、すごく楽しかった」
そんな素朴な人々の魅力に引かれた川嶋さんは09年以降、ほぼ毎年のように同自治区を訪れ、住民の暮らしを丹念に撮影してきた。それだけに、18年に目にしたあまりの変化にがくぜんとし、憤りを感じたという。
「もう、まったく状況が変わっていたんです。どこに行っても、警察官、監視カメラ、検問所の数が劇的に増えていた。人々の顔からは笑顔がなくなっていた。その背景にあるものは何かと言えば、当局の監視ですよ。イスラム教を信仰する彼らをテロリスト予備軍と見なして、何もできないようにしていた。もう、この政治的現状を撮るしかないな、と思いました」
川嶋さんは状況が大きく変化した理由について、「16年8月に新疆ウイグル自治区のトップが、陳全国という人に変わったんです」と、説明する。
「彼の前任地はチベット自治区で、チベット民族の弾圧で辣腕(らつわん)をふるった人なんです」
■住民が恐れる強制収容所
17年4月、新疆ウイグル自治区で「脱過激化条例」が施行されると、ひげをのばしたり、顔全体を覆うブルカを着用したりすることが禁じられた。
「以前はイスラム教のお祈りの時間になると、道端に車を止めて、礼拝している人を見かけたんですけれど、もう、決められた場所でしか礼拝はできません。スカーフを頭の部分に巻くのは禁止されてはいないんですが、みんな当局に目をつけられるのを恐れて、ふつうのスカーフでさえ身につけていない」