そんな寒山拾得を僕は透明人間と考えています。時間、空間を超えて出現する寒山拾得のキャラは正に透明人間です。先日夢で僕は透明人間になって、夢の中の壁やドアを自由自在にすり抜けて、したい放題に暴れ廻る傍若無人な人間を演じました。夢そのものが透明的存在なのに、その透明世界の中でさらに透明人間になったのです。無意識的夢判断によれば、自由への渇望がこんな夢を見せたのかも知れません。夢の中の透明人間の僕は現実の物質的条件から完全に自由でした。夢そのものは常に受動的で夢の中で能動的な行動はなかなかできません。しかし、透明人間になった僕は何の制約も制限もない真の自由を獲得していました。

 自由とは社会的制約に抵抗するだけではなく、自ら開放することで初めて自由といえると思います。先週、嵐山さんが井伏鱒二の「山椒魚」が岩に囲まれた空間の中で、生長して、この岩間から出られなくなった不自由な山椒魚の話をされました。僕もこの小説を読んだ時、閉所恐怖症になりました。この小説は肉体的小説が少ない中で、読者に肉体感覚を体感させました。以前、ある作家のインドを舞台にした小説を読みました。インドそのものが肉体的世界です。先ず五感を通して肉体感覚を体験します。だけどその小説は全く肉体が描けていませんでした。江戸川乱歩の「鏡地獄」も肉体的です。

 絵画はその行為そのものが肉体的です。だから三島由紀夫のように、あえて、肉体を強調する必要はないのです。僕が絵に飽きたのも、肉体を酷使した結果です。だけど考えてみれば飽きることによって、さらに肉体の存在に気づくのです。諦念小説と呼ばれる森鴎外は、常に肉体を移動しながら執筆してきた作家です。僕の制作場所を変えたり、公開制作をすることと同じです。諦めたり飽きることは決して負の生き方ではない、むしろ積極的な生き方だと思うんですが、如何でしょうか? 嵐山さん。

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

週刊朝日  2022年1月28日号

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