一度社会人となったのちに医師の道を目指し、医学部に入る人もいる。週刊朝日ムック『医者と医学部がわかる2022』(朝日新聞出版)では、元プロ野球選手・寺田光輝さんに、プロ野球引退後に医師を目指した理由や、独自の受験勉強について話を聞いた。
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父は内科の開業医。祖父、伯父、いとこ……親族の多くに医師がいる環境で、寺田光輝さんは育った。
「医者になれと言われたことは一度もなかったけれど、10代で進路を考え始めたときからずっと頭の中に『医師』という選択肢がありました。ただそれ以上に『野球に対する思い』が強かったんですね」
その思いに忠実に、プロを目指していたころも、24歳でプロ野球選手になったあとも思いきり野球に向き合ってきた。だからこそ、2019年10月に戦力外通告を受けたとき、「自分なりに野球はやりきった」と受け入れることができた。
野球からの卒業を決断した寺田さんの中で湧き上がってきたのは、「医師になる」というもう一つの夢。後悔することのないように挑戦したい――。野球をやめると決めた3日後に心は決まっていた。
■アルバイトと自学自習の受験生活
当時、寺田さんは27歳。年齢的にも経済的にもずるずると受験勉強を続ける余裕はない。しっかりと計画を立てて受験に臨む必要があった。寺田さんの戦略は、一般入試よりも科目数が少ない「学士編入学」を狙うこと。国公立大を複数校受けることも考えたが、英語と適性試験のみの東海大学1校に絞り込み、三重の実家に戻って自学自習の受験勉強を始めることに。ただ、医学部の学士編入学の場合、ネットなどで得られる受験情報は限られている。そこで予備校の通信講座のみを受講し、情報源として活用した。
地元の進学塾でアルバイトを始めたのも、寺田さん流の戦略だ。学費をためつつ、一日の生活リズムを作るという狙いがあった。
「午前中はカフェや図書館で勉強し、午後2時に進学塾へ。生徒を教えることが自分の受験勉強にもなりました。空き時間に自習室を使わせてもらったり、ベテランの先生に面接指導をしてもらえたりしたことも、ありがたかったです」