「イモトのWiFiは成功したが、それだけではただ運が良かっただけと見られてしまう。そうではないことを実証したいと思いました。幸い、コロナ前から規制産業で新規参入が難しいメディカル支援事業の運営に関わっていたので、これを使ってPCR事業を進める決断をしたのです」

 決断したのは20年7月。8月にはもう新事業を動かしていた。検査技師を集め、それまでWi‐Fi事業をしていた社員を検査スタッフに起用した。結果は──まさに「V字回復」だった。

 西村社長は1970年、名古屋市で生まれた。焼き鳥店を経営していた父が病気になり、店は人手に渡り、生活保護を受けて暮らしていたという。新聞配達から始まり、葬儀会社などさまざまなアルバイトで資金をためて大学に通い、外資系大手コンサル企業に就職。2年働いて25歳のときに起業し、ボイスメール事業をスタートさせた。その後は、海外用携帯電話サービス事業などを手掛けたが、最初の5年は鳴かず飛ばずだったという。

「おもしろいと思ったらやってみたくなる性格で、結果はやってみないとわからないと思っています。失敗もたくさんしました。でも、痛い思いをした分、いろいろな経験が自分の糧になった」

 転機は12年に訪れた。当時、スマホが急速に普及し、それまでBtoB中心だったWi‐Fi事業の市場がBtoCに広がっていた。そこで、西村社長はこの分野への参入を決断。知名度やブランド力が低いという弱点を克服するため、CMにイモトアヤコを起用し、ブランド名にもその名を冠することで一気に勝負をかけ、見事成功を勝ち取ったのである。

 思いついたらやってみたくなるチャレンジ精神は、たとえばオフィスのデザインにも表れている。19年に本社を渋谷の新名所「スクランブルスクエア」に移転する際に、オフィスの内装デザイナーではなく、高級ホテルやレストランのデザイナーに依頼した。

「自分がつくってみたかったオフィスラウンジにしたら評判になり、人気ドラマ『半沢直樹』のロケで使いたいと依頼がありました。クリニックの内装も、同じように私のこだわりが詰まっています」

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