「60代前後になっても、精神的にも経済的にも親から自立できていない男性と高齢の母親、という組み合わせは珍しくありません。過去に携わったケースで、98歳の母親と60代の息子さんの二人暮らしがありましたが、息子さんはどうしても母親の死を受け入れられず、『何とか助けてほしい』と泣いて懇願していました。世間一般では、大往生と言える年齢であっても、どうしても死を受け入れられない。そうしたケースは、母と息子の二人暮らしであることが少なくない印象です」
◆「焼香に来い」はありえない連絡
前出の関東地方の在宅医が携わったケースの中には、死亡確認をして死亡診断書を書いた後に、息子が救急車を呼んだケースもあった。
「自分の世界は母親だけ、というまま60代になってしまったような人でした。亡くなってからもずっと母親を撫で回して離れない。どうしても死を受け入れられないことから、わらにもすがる思いで救急車を呼んだのでしょうが、医療にも限界がありますから……」
一般的に、「この医療機関を利用する」という決定権は利用者側にある。医療機関は、一度患者を受け入れたら、患者や家族が困難な人物であっても、途中で「うちで診ることは難しい」と正面からは言いづらい。だが「どうしてもの場合には、何らかの理由をつけて逃げることもできなくはない」と、ある在宅医が明かす。「ただし、鈴木医師のように地域の8割の在宅患者を担当していたという状況では、見捨てて手を引く、という選択肢はなかったのかもしれない」(前出の在宅医)
さらに今回の事件のように、家族から「焼香に来てほしい」という連絡が医療機関に入ることは、複数の在宅医や看護師が「普通はありえないこと」だと首を振る。在宅医の仕事は、患者の死亡診断書を書いた時点で契約が終わるからだ。だが鈴木医師は事件当日、自身を含む関係者7人という大所帯で容疑者宅に弔問に訪れていた。25年にわたり、家での看取りを支援し続ける桜井隆医師(さくらいクリニック院長)は言う。
「おそらく、容疑者に問題があると認識していたからこそ、母親が亡くなった後の彼へのケアと労いの意味合いを込めて、関係者全員で行ったのでは。そこまでしてくれる医師は、普通いません。容疑者は他に関わっている人がいないからこそ、一番よく面倒を見てくれた人に攻撃を向けてしまったのでは」
(フリーランス記者・松岡かすみ)
※週刊朝日 2022年2月18日号