例えば、死期が迫って意識が低下していることを受け入れられず、投与している薬のせいにする。自分の知識や価値観のみで判断しようとし、治療方針に強い不満を抱く。また死期が明らかに迫っているのに、「まだ食べられるはず」「お風呂にも入れるはず」と、医師の言うことを聞かない家族もいるという。
「患者がいつまでも死なないと思っている家族は、一定数います。そうした人ほど思い込みが強く、固執するところがあり、なかなか会話が通じない。結果的にトラブルにも発展しやすい」(前出の在宅医)
治療方針を巡って、医師と家族の意見が合わないことは少なからず見られることだ。延命治療をするかどうか、入院するかどうか、在宅医療ならどこまで何をするか──。「これでいい」と命の判断をすることは家族にとっても医療者にとっても難しい。患者を思うあまりに、行き場のない感情を爆発させてしまう家族もいる。自身も在宅医であり、45年にわたって医療の現場を見てきた小笠原望医師(大野内科理事長)は言う。
「命に限りがあることを認められない家族がいるときの医療は、とても難しい。そして家族と折り合わない中での在宅医療は、さらに困難を極めます。今回の事件は、『母の命を永久に』というのが、容疑者の医療への要求だったように見える。医療に対する度を越した要求の高さ、そして“母子分離”ができていない母と息子の関係性が事件の引き金になったのでは」
年齢を重ねてもなお、親と子との距離感が非常に近く、子が親に依存したり、必要以上に執着しているケースは少なからず見られる。80代の親が、自宅に引きこもる50代の子どもの生活を、経済的にも精神的にも支える「8050問題」が取り沙汰されるようになって久しいが、無職の息子である容疑者と年金受給者の母親という構図から、今回の事件にもこうした問題が潜んでいると見る向きも強い。子が親に依存し、互いの距離感が近いケースには、実は「80~90代の高齢の母と60代前後の息子」という構図が多く見られるという。訪問看護師としても活躍する大軒愛美さんが言う。