大学時代にのめりこんだ水泳。(写真右)大学4年時に「西日本医科学生総合体育大会」の水泳部門運営責任者に。大会後、参加者約千人の前であいさつをする山本医師(写真/本人提供)
大学時代にのめりこんだ水泳。(写真右)大学4年時に「西日本医科学生総合体育大会」の水泳部門運営責任者に。大会後、参加者約千人の前であいさつをする山本医師(写真/本人提供)

 小学生のときから医師という職業を意識し、公立高校2年生のときに京都大学医学部に入ることを目標に定める。

「高2のときにキャンパスを見学したんです。赤レンガの雰囲気が素晴らしかったし、当時京大は再生医療の研究でニュースになるなどしていたので、世界の医療をリードする京大でどうしても学びたいと思いました」

 しかし高3の受験では受からず、迷わず浪人を決めた。

「京大へのこだわりが強かったんです。浪人時代は、朝7時に起きベッドからそのまま机に向かい勉強開始。死ぬ気で勉強して、1年で視力がガタッと落ちてしまいました」

 努力のかいあり、1年後に合格。京大医学部生となる。

 京大医学部はイメージ通りの、知的好奇心を刺激するすばらしい環境だった。当時の医学部長は、のちにノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏。ほかにも世界の医療を牽引する有名な医師が多くいた。大学時代は内科を志望し、水泳部に所属して毎日のように練習に打ち込んだ。

「一度はまると、とことんまでやるタイプで。水泳は結果が数字で表れます。いかに過去の自分のタイムを超えていくか、自分との闘い。ただ努力しても結果が出ないことのほうが多く、打たれ強くなりましたね。今の仕事にも生きている大きな経験でした」

 大学卒業後の研修先は、神戸市立医療センター中央市民病院。全国から研修医が集まる人気の研修施設だ。

「いざ現場に立ったら、自分が想像以上にまったく使いものにならない。覚えなければならないことも思っていた以上に多く、苦労しました。そうした中で気づいたのが、知識や技術が最も身につくのは、優秀で教えるのが上手な先輩医師に教えてもらうこと。幸いにも周囲にはそうした先輩がたくさんいました」

■患者や後輩のため 正しい情報を発信

 教えるのが上手で、かつ教えるのが苦ではない先輩医師がどの現場にもいるわけではないだろう。そんな思いから、山本医師は後輩たちのために『レジデントのための専門科コンサルテーション』(医学書院)という本を編集している。

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