59年、いよいよご成婚とパレードの日が近づく。53年に放送がスタートしたテレビが、58年に100万台が普及、そしてご成婚の盛り上がりも後押しし、その1年後には200万台に倍増するなど、マスコミ全体が活気に満ちた時代だった。本誌もご成婚・ミッチーブームに乗っかり、4月12日増大号の表紙は美智子さまだった。<皇太子さま、美智子さま、おめでとうございます>と、巻頭からご成婚を盛大にお祝いした号となった。
<敗戦は悲しい現実でしたが、いろいろのものを生み出しました。お二人もその意義の深さに思い至されたいと思います>と、敗戦を経た日本にとっての大きな明るい話題であったことがうかがえる。本特集では皇太子さまの生い立ちから美智子さんと出会うまでの半生を、8ページにわたり綴り、最後には、お二人が出会った軽井沢のテニスコートのエピソードを引き合いに、ドラマチックにこう記している。
<ここではしごく散文的に、昭和八年十二月二十三日に生れた一人の男の子と、そのあくる年の十月二十日に生れた一人の女の子が、初めてその日にめぐり会ったとだけしるして置こう。多分何ものかの力に導かれて……>
4月10日、ご成婚パレード当日。日本テレビに入社した前出の渡辺さんは、中継現場にいた。
「私は青山学院大学のすぐそばにいました。道路をへだてた側にはKRT(現TBS)の中継班がいました。お二人を乗せた馬車のどちら側で美智子さまをよりアップで映すことができるかという勝負でもあったんです」
渡辺さんには「秘策」があった。沿道で青山学院大学のグリークラブにハレルヤのコーラスを歌ってもらった。
「聖心出身でいらっしゃるので、反応してくださるかと考えたんです」
秘策は見事に当たった。
「歌声にハッとしたように美智子さまがクルッとこちらを向いてくださって。あふれんばかりの健康美のアップを長い時間お茶の間に届けることができました」
日本が明るい話題に包まれる時代の幕開けを象徴するような一日だった。(本誌・太田サトル)
※週刊朝日 2022年2月25日号