成立当初の鎌倉幕府は、東国を支配する小規模な地方政権でしかなかった。しかし、承久の乱に勝利したことで、その支配領域を全国へ拡げていく。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.19』では「鎌倉幕府」を徹底解説。ここでは、幕府の成立時期を検証する。
【図版】御恩と奉公…知っているようで知らない主従関係がひと目でわかる!
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鎌倉幕府の成立時期については、これまで様々な説が提唱されてきた。昭和の時代に代表的だった説が「頼朝は1192年、後白河法皇の死後、ついに念願の征夷大将軍に任ぜられた。ここに武家政権としての鎌倉幕府は名実ともに成立した」というものだろう。
つまり、頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命され、幕府が成立したと考える説だ。教科書などにもそう記されていた。「いい国作ろう 鎌倉幕府」で成立年を暗記した人も多いのではないだろうか。
しかし、平成に入ると、頼朝の征夷大将軍就任の記載はあるものの、それをもって幕府が成立したとは書かれなくなる。例えば「御家人の多くは、新たに頼朝から任命を受けて地頭となり、朝廷に没収された平家の旧領や謀反人の所領にも地頭が置かれることになった。こうして東国を中心とした頼朝の支配権は、西国にもおよぶようになり、武家政権としての鎌倉幕府が確立した」と、年代は記されず、次第次第に幕府ができたと表現されている。
■6つの説が提唱されるが成立年に定説はない
幕府がいつ出来たかという事については定説がある訳ではない。大きく分けて、6つの説がある。
(1)治承四年(1180)末
(2)寿永二年(1183)十月
(3)元暦元年(1184)十月
(4)文治元年(1185)十一月
(5)建久元年(1190)十一月
(6)建久三年(1192)七月
守護・地頭の任命権は、武士を支配する重要事項という事で、(4)の1185年を幕府成立時期とする説が近年の教科書では採用されている。そのため「いいハコ作ろう鎌倉幕府」との語呂合わせで年号を覚える人が近年では多いのだろうか。昭和の時代に馴染みがあった1192年説は今では廃れた感がある。
これまでは、頼朝は征夷大将軍の任官を望んできたと言われてきたが、近年では「大将軍になりたい」という要望だけで、必ずしも最初から征夷大将軍任官を望んでいた訳ではないという説も唱えられるようになった。