哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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コロナのせいで海外との行き来が難しくなり、恒例の韓国講演旅行も2年続けて中止になった。代わりにオンラインで講演をした。今回の演題は「地方消滅危機時代の人文知の役割」というものだった。
実は韓国も日本と同じく急激な人口減局面にある。合計特殊出生率は0.84という驚くべき数値である。21世紀末には今の5200万人から2千万人にまで人口が減り、世界最高の高齢社会になるという予測もある。
それでも韓国社会にはあまり危機感が見られないという。それは「北」からの移民労働者の受け入れを当てにしているからだという話を少し前に韓国の方から伺った。
南北統一はまだ先の話としても国境線を越えての人の移動はいずれ可能になる。南は北に投資し、北は南に労働力を提供する。そういう未来を韓国社会は期待しているので、少子化対策にあまり必死で取り組まないのだという説明だった。だが、地方の人口減とソウルへの一極集中はすでに危機的な水準に達している。だから私に意見を訊(き)きに来たりするのである。
人口減に直面するのは、日本と韓国ばかりではない。中国も台湾もこれに続く。経済活動を維持しようとすれば、どの国もいずれ海外から移民労働者を呼び込まなければならない。中国はたぶんアフリカと「一帯一路」関連国を当てにしている。台湾は香港から逃れてくる人たちを当てにしている。韓国は「北」を当てにしている。日本にだけ当てがない。
マンパワーを備給できるのは、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ベトナムなど人口が多く若い国である。これらの国相手の「人の取り合い」がいずれ始まる。その時、人を惹(ひ)きつける条件は何か。賃金では日本はもう国際競争力を失いつつある。提供できるものがあるとすれば、政治的自由と「歓待」の構えくらいである。
人種も言語も宗教も生活習慣も異なる人たちを受け入れ、共生できる社会にしか生き残るチャンスはない。「多様性と包摂」はきれいごとではなく、生き延びるための必須条件なのである。そのことに気づいている人が今の日本にはあまりに少ない。
内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数
※AERA 2022年2月28日号