「え、それって、性暴力事件じゃないですか」
え? と驚く私に、彼女は「え? そんなことも知らないんですか?」みたいな感じで教えてくれた。SNSにはこの手の男がかなりいること。特にレズビアンカップルを狙ってくる男もいること。まるで善きことをするボランティアの体をとりつつ、セックスを目的にする男も多い。とはいえ女性のほうも、自分が男から精子を求めることに合意しており、場合によっては妊娠の確率が高いタイミング法(実際に性交すること)に合意することもある。だから「被害」に気づきにくく、それが合意の性交であるのか、わなにはめられた性暴力だったのかの区別がつきにくいというのだった。
そう言われると、「解けていく」謎もあるように感じるのだった。実際、後になり女性の訴状や、記者会見での弁護士の発言などを見聞きしたが、この女性は自身が性被害にあったと感じていた。この“事件”は性暴力事件として提訴されているわけではないが、実際には「望んでいた条件と合致しない相手との性交渉と、これに伴う妊娠、出産を強いられた」とし、「自らの子の父親となるべき男性を選択する自己決定権が侵害された」と女性側の弁護士は訴えている。そして、その原因となった自身の子が、性暴力被害のトリガーとなってしまったことから、自分の意思ではなく、専門家のすすめによって子どもと一時的に引き離されている状況になっているとのことだった。
今にいたるまで、この“事件”を「性暴力」の要素がある事件として、女性の人権の観点から報道したメディアを私は知らないが、母親の傲慢な欲望として母親バッシングにつながる報道だけでは見えない真実に、実は目を向けなければいけないのかもしれない。母親も、子の人生に対する加害に荷担してしまっているかもしれないが、その背景にあったかもしれない暴力的構造や、女性の身体を巡る厳しい現実がある。なにより、現実に追いつこうともしない法律の問題、「子を産まねば」という女性に向けられるプレッシャー、生殖ビジネスに対する無批判な推進、女性の身体が常に危機にさらされ、支配され、搾取されている現実がある。
「わからない」ことはますます膨らんでいくが、その「わからなさ」の中で人生が壊れるほどもがく人たちの声に向き合うしかないのだろう。“事件”から見える「今」が含む暴力性に呆然としながらも。
■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表