(週刊朝日2022年3月4日号より)
(週刊朝日2022年3月4日号より)

 森夫妻と何度か食事をしたこともあるけど、奥さんに頭が上がらない。逆に「あなたが東京でいい格好をしているとき、私は地元で有権者に最敬礼して回っている」などと言われるわけね。僕も家族には頭が上がらないから、一緒だね。

 森失脚が決定的となったのが01年、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がハワイ沖で米国の潜水艦とぶつかり、沈没した事故。多くの高校生らが亡くなった。この時に森はゴルフをしていた。事故が発生していたのにゴルフを続けていた。けしからんと。これが致命傷となった。

 大事故だから言い訳はできないけど、かわいそうな事情もあった。森はプライベートでゴルフをやったのね。秘書たちにみんな、久しぶりに休暇をとらせていた。

 だから、秘書たちは事故をいち早く伝えなかった。森は事故を知ると、首相官邸に直行せずに服を着替えるため自宅に立ち寄った。これもまた批判された。

 そんな森内閣だったけど、プーチン大統領とはウマが合った。人脈を持っていた自民党(当時)の鈴木宗男と森の仲がよかったためね。ところが当時、ロシアとの関係がうまくいくことは、日本国内では反対の声が根強かった。

 森内閣が続いていれば、プーチン大統領は北方領土問題で「2島返還」を言っていただろう。

(構成/週刊朝日編集部)

※次回は小泉純一郎の予定です

週刊朝日  2022年3月4日号

著者プロフィールを見る
田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

田原総一朗の記事一覧はこちら