そんな人柄の小渕が、カンカンに怒った出来事があった。99年の自民党総裁選。無投票再選を狙った小渕の思いに反して、加藤紘一が出馬したのね。
実は小渕は、僕に次期首相として「次は加藤でいく」とはっきり言っていた。加藤本人にも伝わっていたはずだけど、なぜか出ちゃった。僕も止めたんだけど、言うことを聞かなかった。
それで、加藤を買っていた小渕が激怒する。小渕からすれば「加藤はどうしても自分を潰したいのだ」と映った。裏切られたと。なぜかわからないが、加藤の“勘”が狂ったんだと思う。いまだによくわからない。
2000年春、小渕が突然の病で亡くなると、自民党の幹部たちが、幹事長だった森喜朗で行くしかない、と決めた。森本人は全く想定してなかったのに、首相になった。
マスコミはこれを一斉に「密室談合」だと書き立てた。森も反論したいけど、反論する機会も与えられなかった。はじめから“ダメな首相”だと決めつけられてしまったのね。
◆プーチンと良好 えひめ丸で失脚
首相になるなんて考えていなかった森は、それまで「滅私奉公」だと言っていた。もちろん大事な姿勢だけど、首相になったわけだから「『滅私奉公』と言うのはもうやめたほうがいい」とアドバイスした。森は「そうですね」と言っていた。
森はとにかく面倒見がいい。無所属で初当選したくらいだから、多くの人に慕われた。だけど、マスコミは首相としていかにダメかという理由を探し続けた。そして、森の発言がたびたび問題となった。
いわゆる「神の国」発言があった。それから、衆院選の投開票を控えた時期、(野党に票を投じやすいとされた)無党派層に対して「寝てしまってくれればいい」とも言った。とにかく森は批判の的となった。
森はね、ごまかしてしゃべっているわけでは全くないのね。東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の会長としても「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」と発言。批判を浴びて辞任した。