「美醜(女性の価値を測るための、わたしたちの文化で唯一の安楽な測定基準)」「自分を検閲しないコメディアンは、単にわめいているだけの素人にすぎない」「わたしは善良であることよりもクールであることを優先する人々にノーを言う」。前後の文脈がわからなくても、このスパスパとした切れ味だけは伝わるだろう。

 それでいながら、「はい論破!」的なノリとは全く手触りが異なっている。巷で言われている論破が、相手との対話を前提としない一方的な攻撃であるならば、本書のパンチラインは、たっぷりと対話した後にそっと優しく渡される「引導」である。デブを嗤い、女性を虐げる者たちよ、さぁお逝きなさい、といった具合だ。フェミニストは怖い、フェミニストは怒っているといった印象は、リンディに当てはまらない。だって彼女は、男の沽券にこだわるあまり、男らしさに呪縛されてしまった者たちを、ときにユーモアを交えつつ浄土へと導いてみせるのだから。

「わたしは肥満であることを嫌悪している」という彼女は「わたしは肥満であることを愛してもいる」とも語る。「かつてのわたしは、我が国の文化において太っていることは溺れているようなものだ(嫌悪や非難の海に溺れ、涙を拭いたティッシュの海に溺れるのだ)と言っていた。しかし、最近では、太っていることはむしろ燃えているようなものだと思う。三十年間も火の中にいたから、わたしの鉄製の骨は鋼鉄になっている」

 このように思えるまでの道のりは決して平坦ではないが、超人にしか歩けない道でもない。言葉を武器に、現実を動かし、足元をならしていく。そのプロセスを経れば、読者もまたさまざまな呪いを解いて自由になれる。そのことを説得的に書いているのが、とにかく最高。私達も言葉を武器に、それぞれのやり方でやってやろう。そう思わせてくれる本だ。

週刊朝日  2022年3月11日号

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