政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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安倍元首相銃撃事件はなぜ起きてしまったのか。それを考えるとき、安倍元首相の祖父である岸信介氏のレガシーを抜きには語りえません。岸氏といえば、日韓国交回復の陰の立役者であり、韓国側のカウンターパートである朴正熙(パクチョンヒ)元大統領と刎頸(ふんけい)の友のような関係にあったことはよく知られています。
他方、岸氏は両国の地下人脈も含めて日韓癒着の構造的な暗部を代表する実力者でもありました。日韓台の反共ネットワークを形成し、日中国交回復以後も岸氏の構想を受け継ぐように1970年代に自民党内に派閥横断的な青嵐会が結成され、中川一郎氏や石原慎太郎氏、さらに清和会に通じる森喜朗氏や三塚博氏といった、文部行政に影響力のある保守・右派系が登場します。彼らが岸氏のレガシーを受け継ぐ戦後世代になり、統一教会系の政治的実働部隊である勝共連合が活躍できる地盤も東アジアの反ソ、反中、反共のネットワークの中で形作られたと見るべきですし、背後には間接的に反共的なキリスト教主義運動と共鳴していた米国政界が連動していたはずです。こうした勢力は日中関係の正常化後に自民党内で異端や傍流の立場を余儀なくされますが、冷戦が崩壊し、中国脅威論が現実のものになると、岸氏のレガシーを受け継ぐ清和会あるいは安倍派が主流に躍り出ます。
その間、韓国も台湾も民主化され、政権交代を実現して反共一辺倒の時代に別れを告げますが、日本は反共保守で凝り固まった与党内の傍流の人脈がメインストリームに陣取り、「衣替え」しただけの旧「統一教会」との深い関係を継続しました。
その意味で問題は政教分離というより、冷戦崩壊後も「遺産」を引きずったままにしてきた「不作為」にあると言えます。極論すれば、戦後日本は沖縄などの一部の地域を除けば日本に冷戦はなく、ポスト冷戦の社会・政治的な変化もなかったのでしょう。
今問われているのは、なぜそうなったのかという戦後の歴史的な歩みそのものではないでしょうか。その手がかりは岸氏の「功罪」を明らかにすることによって理解可能なはずです。歴史の「因果」を感じざるをえません。
◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2022年8月8日号