雨天順延で1日遅れの3月19日に開幕した第94回選抜高校野球。甲子園を舞台に球児たちが熱い闘いを繰り広げる一方で、過去の大会では、誤審、または誤審と疑われる微妙な判定がクローズアップされた試合も少なくない。
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本塁打を打った走者が前の走者を追い越したのに、全得点が認められる珍事が起きたのが、1975年の1回戦、報徳学園vs池田だ。
くしくも前年の決勝戦と同じ顔合わせとなった因縁対決は、前年1対3で敗れた雪辱に燃える池田が6回に連続スクイズで2点を先制。勝利をほぼ手中にしたかに思われた。
だが、報徳も7回に1点を返したあと、8回1死一塁から併殺コースの投ゴロが二塁悪送球を誘発し、一、二塁ともセーフになる幸運でチャンスを広げる。
そして、次打者・長井研介は左翼ラッキーゾーンに起死回生の逆転3ラン。「一塁を回った瞬間、入ったと思いましたが、あとは興奮して何が何だかわからなかった」という長井は、二塁ベース手前で、打球の行方を追ってスタートが遅れた一塁走者の小丸雅彦を追い越したように見えた。
小丸も「ふと見ると、長井が横を駆けていった。慌てて前へ追い越して、自分で“あかん”と(長井を手で押して)後ろに下げた」と証言した。
この場合、ルール上、長井はアウト(記録は単打)で、得点はマイナス1の2点になるはずだった。
ところが、池田の一塁手・逢坂史朗が追い越しをアピールし、蔦文也監督もベンチから控え選手を走らせて抗議したにもかかわらず、審判団は「打者走者と前走者は接触したが、追い越していない」として、3点をそのまま認めた。
2対4で敗れた試合後、蔦監督は「審判団が協議した判定だから、しつこく抗議しませんでした。高校野球はなんぼ言うても判定が覆ることはありませんから。たとえはっきり写真に出ていても、改めて問題にいたしません」と潔く結果を受け入れた。
19年夏の甲子園、明石商vs宇部鴻城で二塁アウトの誤審がその後セーフに覆り、“歴史的事件”と報じられたが、それまでは、84年のセンバツ、佐賀商vs高島でワンバウンド後にスタンドインした打球が“誤審本塁打”になるなど、「判定は覆らない」が高校野球の常識だった。