そんななかでの、「にほんごでもいいの?」でした。そう聞かれて気づいたのですが、突然の骨折騒ぎに慌てて、わたし自身が「家では英語」ルールをすっかり忘れ、日本語で話しかけていました。慌てた状況下でうまく使いこなせるのは当然ながら母語の日本語であり、傷ついた息子にかける言葉も日本語だったのです。英語だったら Sweet boy, you’ll be alright. なんて呼びかけるのでしょうが、なんだか嘘くさくて。心から湧き出る思いを言葉にすると、やっぱり「そうだよね、痛いよね」と日本語になるのです。

 小学校高学年頃から英語を習い始めたわたしにとって、英語は完全なる第二言語です。何事も日本語が第一に来ます。アメリカで暮らしていた時も、たとえば足の小指をぶつけたら Ouch! じゃなくて「いったァ!」と叫んでいました。こういうタイプの人は、たとえ英語圏暮らしが長くても高齢になったり認知症を患ったりすると英語を忘れ、使えるのが日本語だけになってしまうと聞きます。じゃあ完璧な(といういいかたもどうなんだろう)日英バイリンガルだと、日本語も英語も生涯ずっと同じようにススイと使いこなせるのだろうか? その境地を目指すのがバイリンガル教育なのでしょうか?

 子どもの骨折というアクシデントですっかり我を忘れ、英語を忘れたわたしでしたが、子どもたちにはいかなる状況下でも日英両言語を問題なく使いこなしてほしい。そのためには「家では英語」を徹底しなければいけないと思うのですが、それを嫌がるのが息子です。特に今は心身弱っていて、英語なんて受け付けない状態。子どもの思いに目をつぶってでもルールを押し通すべきなんだろうか、とギプスの足を引きずる息子を見ていると悩んでしまいます。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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