
李:私は物語が好きなので、どうしても物語を求めてしまうところがあるんですよね。だから『僕は失くした恋しか歌えない』のほうが面白く読めました。
小佐野:『僕は失くした恋しか歌えない』は、散文の部分は中に出てくる短歌の長い詞書のつもりで書いている部分もありました。
李:私は短歌は書けないんですけど、小説に漢詩をちりばめてみたら、どうなるかなと思いました。実際、中国の古典小説では、そういうことを普通にやっていたんですよね。
小佐野:日本の古典の「伊勢物語」とかも歌物語ですし、「源氏物語」でも歌は主役級です。詩歌と散文というのは、今は綺麗に分かれていますけど、昔はグラデーションがあったんですよね。綺麗にしっかり分けられていなかった時代というのが多分、中華圏も日本も長かった。その時代の文学は麗しいものが多いですよね。
李:中国には四六駢儷体というものがあってですね、整ったリズムで書かれているけれども、言葉も凄く麗しいという、南北朝あたりの時代に流行っていたという文体です。
小佐野さんの今回の作品は、「アイコちゃん」という登場人物もすごく魅力的でした。青春小説っていいなーって素直に思いました。自分も書いてみたいなとも。
小佐野:ありがとうございます。「したたる落果」も、ある意味では青春小説だったと思うんですけど、ガチな青春小説に今回初めてチャレンジしたので。
李:アイコちゃんとハヤト、そして主人公のダン。主人公のダンはゲイであることを認識しはじめているけれども、それを認めたくないし、周囲にも気づかれないようにと、アイコちゃんとの関係をカモフラージュに使おうとする。一方で後輩のハヤトに心惹かれていく。不思議な均衡を保っていた三人の関係性が、徐々に崩れはじめる、そこが凄く良かった。でもおそらくこの部分は実話だと思ったので、良かったという言い方は失礼ではないかと、ためらうところもあるんですけれど。
「青春のあるべき姿」を手放したくないと固執する僕がいて、そのくだりのあとに短歌が入っていますよね。「まぼろしの春に溺れる少年が拾い集めてゆく嘘の種」と、この感じがね、すごくいいですよね。ある欠落感が散文と短歌とで、見事に描かれている。