
この世界は人間が考えている以上に複雑ですよね。そういう事を忘れないということは、すごく大事なのではないか。SNS上の意見の応酬をみていると、「彼ら」と「うちら」みたいな、敵か味方かという感じの見方をしがちです。でも本当はひとりひとり違う考え方を持っている。人には、いろんな側面があって、いろいろな考え方があって、複雑なんだということを忘れてはいけないと思います。
小佐野:最近、政治とかに「わかりやすさ」を求めますよね。でも「わかりやすさ」は危険でもあるわけですよね。実際は政治とか権力とか、社会もシステムも、あるいは、ひとりの人間もですけど、とても複雑でわかりにくいものです。すごく難しくて、わかりにくい。この難しさ、わかりにくさを受け入れていくために、文学というものがあるのではないかと思います。僕は大学院で経済思想史を学んでいました。近代経済学の父と言われるアダム・スミスの主著のひとつに『道徳感情論』という本がありますが、その中でアダム・スミスは、我々の暮らす近代の市民社会の根幹にあるのは、シンパシー=同感なのだと言っているんですね。我々は他者の気持ちを同感によって、つまり言い換えれば想像力ですよね、「こいつは痛いだろうな」あるいは「ここまでやったら傷つくだろうな」というようなことが想像できる力を本性として持っている、と。資本主義というと、弱肉強食というようなイメージがありますが、資本主義の思想的父であるアダム・スミスが描いている資本主義、市場経済の社会というのは、シンパシー=同感によって、自分の行動を適宜性、つまりちょうど良さですよね、そのちょうど良い範囲の中に収めるという社会なんです。やや性善説的ですけど、そういうふうに『道徳感情論』で言ってるんですよね。僕は、やっぱり、そこに真実があると思っている。我々がこの民主主義、そして資本主義市場経済の中で暮らしていく上においては、同感すること、つまり想像力は必要不可欠なのだと思う。それを養うために、僕たち、きっとこれからも物を書いていくんじゃないか。短歌は行間だらけで、空白だらけですけど、まさにその空白をうめていく想像力が必要になる。そういう想像力を養う一助に、自分の作品がなればいいなと思うことがあります。なんだか、ちょっと偉そうなことを言って、恐縮なんですけれど。