ステージに立ち、プラカードを掲げる澤地久枝さん/高鍬真之撮影
ステージに立ち、プラカードを掲げる澤地久枝さん/高鍬真之撮影

 そう話すと、表面に「戦争反対!」「ウクライナに平和を!」。裏面にウクライナ語と英語で「戦争反対」と書かれた青と黄色のウクライナカラーのプラカードを掲げた。

 澤地さんは元々心臓の僧帽弁狭窄(きょうさく)症の持病がある。最初に手術をしたのは28歳で、10年後に2度目、15年後には人工弁を入れる大手術をしており、現在もペースメーカーをつけている。

 腰椎骨折後は一時、「要介護4」に。当初は歩くことさえおぼつかなかったという。懸命のリハビリで今は「要介護1」まで回復して担当医を驚かせたそうだが、さらには毎月3日の国会議事堂前で開かれる自公政権への抗議活動「3の日宣伝」にはほぼ参加している。

 ロシアのウクライナ侵攻に危機感は強く、ステージではこう呼びかけた。

「私たちがここで諦めたら、それがいずれ私たちや子供たち、孫たちの上に来るかもしれない。みんなの声、世界の声を届けるしかありません。一人一人が覚悟を決めて小さな一歩でもいいですから、踏み出していきましょう」

 一方、集会にはウクライナ人も参加していた。歌手で民族楽器「バンドゥーラ」奏者のナターシャ・グジーさんは、ウクライナ北部のチェルノブイリ原発に程近い町・プリピャチで育ち、6歳の時に同原発の爆発事故に遭った。

 そして00年から日本に住み、同じく音楽家の妹・カテリーナさんとライブ活動を始めた。16年には音楽を通じた日本とウクライナの交流促進が認められて外務大臣表彰を受けている。

「小さいころにチェルノブイリ原発事故で避難生活を経験しました。その時、音楽に出会い、どんなに辛い時も悲しい時も音楽が私のそばにあり、励まし勇気づけてくれました。戦争に文化も芸術も沈黙してはなりません」

 母のマリヤ・グジーさんは、ウクライナの首都キエフに住んでいたが、ロシアの侵攻から逃れるため隣国ポーランドへ脱出した。2週間余りシェルターを転々としていたが、21日に戦争難民として羽田空港に到着したばかりだった。

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