横尾忠則
横尾忠則
この記事の写真をすべて見る

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、進路について。

*  *  *

 自分で自主的に何か事を起こすというのが昔からどうも不得意、だからこのエッセイのテーマも毎回、担編の鮎川さんに課題を出してもらっている。こんな優柔不断な人間になったのも元を正せば可愛がりに溺愛された老養父母の育て方に原因があったのである。自分の腹を痛めた子供ではなく、「天から授けられた子やから」と言って右の物を左に動かすだけで、両親は飛んできて、何もかも全部やってくれたので自分で何かするということができなくなった子供として育てられたような気がする。そんなわけで面倒臭いことは他力本願に頼るという自力の欠如したクセのために今週も鮎川さんの「じゃ、郵便屋さんになりたかったというお話は如何ですか?」と振られたものだから、「ハイ、それで行きましょう」で郵便屋さんになりそこねた話でもしましょう。

 僕にとって郵便屋さんは理想の職業だった。郵便物に表記された住所と宛名の家を捜して郵便物を配達すればいい。玄関の犬に吠えられることを我慢すれば、楽しい仕事だ。ただ面倒臭いのは高卒後郵政研修所に通う必要があったけれど、中学生の頃から郵便マニアだけあって全国の主要都市の名前はほぼマスターしていたし、郵便に関する知識は独学で学んでいたので、研修所などチョロいと思っていた。

 高校に入学と同時に郵趣会というクラブ活動を結成したり、郵政省の管轄下にあった全国組織の郵便友の会を学校に誘致して全国の高校を対象に郵便を通じて他校との文化交流を図る母体を創設して地元の郵便局とも濃密な関係を作りながら、夏休みと正月休みは毎年郵便局でバイトとして働いていた。郵便局の内勤の仕事は主に都道府県別に郵便物を分類する作業であるが、現在のような郵便番号のない時代なので、県名を書かない郵便物も沢山あり、その都度係の局員が県名を捜すのだが、僕は将来のために全国ほとんどの主要都市名を記憶していたので、「おい、ヨコオ、象潟(きさかた)町(現にかほ市)は何県や?」「それは秋田県です」「下松市は?」「それは山口県です」という具合で即答できたので、この種の仕事ではえらい重宝がられたものだ。

次のページ