まあ、あのときは俺もプロレスに来たばかりで頭が固かったからカチンと来たけど、マスカラスとデストロイヤーの一騎打ちを観に来たファンにとっては、断髪式なんか知ったこっちゃないよね(笑)。今になってみればあの野次もしょうがないかなと思えるようになったよ。

 相撲は野次や汚い言葉の声援ってあまりないし、静かに見ているのがマナーとして定着しているけど、プロレスはそうじゃないもんね。だから余計に野次はエグく感じたもんだよ。俺が気にし過ぎなのかなって思っていたら、ザ・グレート・カブキさんとかグレート小鹿さんは、野次がヒドいファンに対して金返して会場からつまみだしていたから、プロレスラーにとっても野次は頭に来るもんなんだって分かったよ(笑)。

 まあ、相撲のファンも厳しいところはあるんだ。1964年、大鵬さんが全盛期を迎えて、出れば優勝というくらい強かったときだ。その年の名古屋場所で2~3日目から大鵬さんが休場して、そのまま千秋楽を迎えた。本来なら千秋楽はタニマチや関係者、地元の有力者やファンに「パーティーをするから来てください」と声をかけて、多くの人が集まって盛大なパーティーをするもんなんだ。豪華なオードブルや料理がズラリとならんでね。

 でも、大鵬さんが休場したその場所の千秋楽は、普通のちゃんこ。いつもなら、宴会場に入りきらないくらい人がくるのに、そのときは20人くらいしか来ない。みんな声をかけても大鵬さんが休場していると来たがらないんだ。あんな閑散とした千秋楽はあのときが初めてで、ファンは残酷なもんだと思ったし、悔しかったよ。本当なら豪華な料理が食べ放題、ビールや酒も飲み放題で、俺たち若い衆にも余禄があったはずなのにって(笑)。

 そんな相撲時代で思い出深いのは、滝さんという方。この人は大阪の茨木市の方で、大阪場所中に馬券売り場でたまたま知り合った人。俺がまだ幕下のころで、滝さんが「お前が幕内に上がったら、大阪場所中は毎日宿舎から府立体育館まで送迎してやるよ」と言ったんだ。それで翌年の大阪場所のときには幕内に上がっていたんだけど、「約束したよね」って、大阪場所中の15日間ずっと“俺が辞めるまで”毎日送迎してくれたんだ。毎年だよ。だから俺は「関西の人は義理堅い」という印象が強いんだ。

次のページ
布施明の野郎ー!と怒ったわけとは?