小説家・長薗安浩氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、『われら』(ザミャーチン著、松下隆志訳、光文社古典新訳文庫 1166円・税込み)を取り上げる。
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ロシアのウクライナ侵攻による惨状に胸がつまる一方で、ロシア国営放送局が流す映像を見るたび、愕然とする。プーチン大統領は、そこでは、ソヴィエト連邦時代のスターリンのように英雄然と讃えられ、いたく得意気だ。私は徹底された情報・言論統制の恐ろしさを改めて確認し、ザミャーチンの『われら』を新訳で再読した。
1920~21年に書かれたこの作品は、約1千年後の地球に君臨する<単一国>の実状を、宇宙船<インテグラル>の建造技師の日記を通して描いていく。<恩人>が支配する同国は<緑の壁>で覆われ、住民には番号を割りふり、各人に配布した<時間タブレット>によってほぼ24時間、食事や睡眠やセックスまで管理。不審な者は<守護者>が尾行し、反逆者は容赦なく排除する。
このような統治について、主人公の男は疑問を抱かない。それどころか、<人間の自由=0なら、人間は犯罪を起こさない>とさえ記して不自由を賞賛する。
そんな男が変調をきたしたのは、ある女への恋心が芽生えたときだった。異性との接触は性ホルモンの処理でしかなかったはずなのに、恋愛によって<魂>が形成された男は、彼女に導かれるまま反<単一国>へと傾倒していく。
オーウェルの『一九八四年』など後の反ユートピア小説に影響を与えた作品らしく、結末は新たな悲劇を見せつける。私は、ロシアだけでなく他の独裁国家の現状も照射する普遍性に感心しつつ、ソヴィエト連邦が誕生する前年にこれを著したザミャーチンの慧眼に驚いた。訳者によれば、彼が嫌っていたのは、<体制をドグマ的に賛美する者たち>と教条主義だった。
※週刊朝日 2022年4月15日号