例えば、これは『生皮』に出てくるエピソードでもありますが「初体験はいつ?」というような、非常にプライベートな質問。答える義務なんてないわけですが、答えざるを得ない状況に、自分も加担していたことがあったかもしれない。私が笑っていたり、あるいは平気でいたりすることによって、誰かに何かを強制してしまったり、誰かの何かを奪ってしまっていたりということがあったかもしれない。認識とともに、想像力も更新していかなければならないと思います。
何十年も口にできず
ひどく傷つけられてもそれを何年も何十年も口にできなかった人というのは、それこそ想像以上に多数いるはず。自分自身に対してすら、なかったことにしている人もいるでしょう。今、少しずつですが、声を上げる人が出てきた。ものすごく勇気がいることだと思います。でも、「だからあなたも勇気を出して」「みんなのために告白して」と、他人が簡単に言えるようなことではないと思う。この小説を読んで、封印していたものが心の表面に出てきたとしても、それがいいことなのか悪いことなのか私には決められません。
──フォトジャーナリストのセクハラ報道もいつの間にかフェードアウトしてしまいました。
人々の話題にならなくなったから傷が癒えるわけではありません。被害者の傷が癒えてほしいという希望を込めて書きましたけど、そう簡単には癒えないと思うんです。もしかすると死ぬまで癒えないかもしれない。それほどのことなんです。世間はスキャンダルとして消費していきますけど、それとは別の時間が被害者には流れているんだと思います。
そのことが、今回書きながら痛切に感じたことで、「生皮」という言葉も、その実感から自然に出てきました。私の小説に出てくる被害者の咲歩は、告発までに7年かかります。なぜ7年も経ってから言い出すのかと、彼女を非難する人たちもいます。7年ずっと傷ついたままだった、7年ずっと苦しかったのだというふうに、私は書きました。そういう想像をしてみてほしいんです。