カルチャーセンターというのはある種の閉じられたコミュニティーです。閉じられた場所で特定の権力を持つ人が存在するという構図はどの世界にもあると思いますが、そういう中で私がいちばん考えやすい場所を選んだということですね。

いのうえ・あれの/1961年、東京都生まれ。89年「わたしのヌレエフ」でデビュー。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞を受賞。『あちらにいる鬼』は映画化も決定している
いのうえ・あれの/1961年、東京都生まれ。89年「わたしのヌレエフ」でデビュー。2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、08年『切羽へ』で直木賞を受賞。『あちらにいる鬼』は映画化も決定している

意識的か無意識的か

──『生皮』を読むと、男性は「必要なことだったし、合意だった」というスタンスです。一方で女性は「嫌だった」という気持ちを抱えています。男女の温度差が伝わります。

 例えば私の小説に出てくるカリスマ講師の月島の、被害者の女性を成長させたかった、という言い訳は、そのすべてが嘘であるとはかぎらないかもしれません。その思いと、自分の性的な欲望を混同させている。意識的か無意識的かはわからないけれど、そうやって自分がしたこと、することを正当化しているのではないか、と考えました。もちろん加害者によっていろんな心理があるでしょう。私が考えた、あるひとりの加害者、あるケースを、書いたということです。

想像力も更新必要

──小説の中には加害者である月島の28年前のあるシーンが登場します。

「加害者」「セクハラする人」という種族がいるわけじゃないんですよね。私たちの友人や知人、あるいは私たち自身が、状況によって、加害者になる可能性があるのではないか。そう考えたのが、28年前を書いた理由です。

 28年前の月島はセクハラめいたことをされた女性をちょっと気の毒に思ったり、かばったりするような一面もありました。彼が加害者になるまでの時間、状況の変化、なぜ、彼は女性にああいうことをするようになったのか、してもいいと思うようになったのか、そういうことを考えたかったんです。

 セクハラってどういうことなのか、何が人を傷つけるのかということは更新され続けていかなければいけないことです。でも実際に更新していかなきゃいけないスピードと、実際に更新されているスピードがずれている。「女というものはこういうものだ」「男はこういうふうにやっていいんだ」という間違った認識は、加害者だけではなく私たちみんなが協力して作ってきてしまったと考えます。

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