「ルカシェンコは大使村をつぶして、なんと、自分が慣れ親しんだベラルーシの農村のような環境にしてしまったんです。最近、そこで息子といっしょにジャガイモを収穫する写真を見て、愕然としました。立ち退きを命じて以来、“ルカシェンコ=変人”というイメージが国際社会に定着しました」
ルカシェンコ大統領のメンタリティーは旧ソ連時代、国営農場「ソフホーズ」の支配人だったころから何も変わっていないと、服部さんは見る。
「ルカシェンコはおそらく暴君として振る舞い、農場を支配したでしょう。そのやり方のまま、国の最高指導者になってしまった。ベラルーシは国レベルに拡大したソフホーズのように、全部ルカシェンコの号令で動く国になってしまった」
■ルカシェンコ「支持」の理由
大統領となったルカシェンコは、北朝鮮さながらに情報を統制。それに風穴を開けようとする民主的な政党をあらゆる手段を使って弾圧した。反体制的な動きが見えれば、それを芽の段階で摘みとったのだ。
しかし、だ。
「それなりに、過半数の国民に支持されていたことは間違いないと思います」
国民について、意外にもそう指摘する服部さん。さらに、こう続ける。
「これまで大統領選のたびに80%を上回るような得票率が発表されてきた。その数字が本当かどうかはわかりませんが、おそらく、60%くらいの得票率に下駄を履かせて、そういう数字をつくってきたのだと思います。つまり、なんだかんだ言いながらも、過半数の国民はルカシェンコを支持してきました」
その背景には、ウクライナなど他の旧ソ連の構成国と比べればおとなしい国民性に加え、貧しいながらも安定して暮らせた旧ソ連体制への根強いノスタルジアがあったという。
「誤解されがちですが、ルカシェンコはわりと最近まで安定した政権運営をしてきたのです」
■硬直的だが混乱よりはマシ
それを象徴するのが、ロシアが一方的にウクライナのクリミア半島の併合を宣言した2014年の翌年に行われたベラルーシの大統領選だった。
「ウクライナは民主化、親欧米路線をとったことが引き金となって、ロシアとの紛争が起こり、大混乱に陥った。その様子を間近で見ていたベラルーシ国民の間には、ウクライナのようにめちゃくちゃになるよりは、保守的であってもルカシェンコのような指導者のほうが好ましいんじゃないか、という空気が広まった。それで、15年の大統領選は無風状態だったんです」